大宮八幡宮は開花が遅れての桜祭りの準備中だった。
紅枝垂桜は雅。今頃、京都の平安神宮はすごいことになっているのだろうな。
門を抜け参拝し、善福寺川公園へと抜けていく。
曇天の桜はパッとしないが、黒い幹を背景にすると楽しめる。幹から生えた花が好きなのだよね。
花粉から逃げることをとるか、桜を楽しむことをとるか。悩ましい季節でもある。
このS字に描く花が一番な光景か。
親戚の集まりで熱海の昭和倶楽部というマンションを改装した宿に泊まった。2LDKを1室として4人が泊まれる。畳に布団敷きが2名、シモンズベッドが2名。
最上階は各階2軒の階全体をぶち抜いたペントハウス仕様だという。
料理が定評があるのだそうだ。
出来立てで焼物、揚物、煮物が出てくるのだがなるほど、どれも美味しい。
鮑の踊焼き。むごい。バターの塊を抱かせられて蒸し焼かれる。
しかしそのままでも、レモン汁を絞っても大層美味しかった。業深いな。
どれも安心して味わえる美味しさ。
風呂は3人ほどが入れる内風呂に2人が丁度良い露天風呂が1つ。しかし部屋数が少なく他の客と鉢合わせることが少なく狭さを感じない。
この季節はどこにいっても街のあちこちに椿が咲いていて楽しい。我が家の玉の浦も大輪の花を咲かせてくれていた。花弁の縁の白があまり出ていないけれども。
赤に白が入った絞りも良い。
血潮も自分の手元に置くには重たいけれども街中で見かけると楽しい。
ほぼ白に赤数筋。
獅子咲の量感もなかなかだ。
八重ではないが花弁の多い品種も。
蕊の黄色が派手な品種はどうにも散らかる。
私が一番好きなのは侘助やこの出雲大社藪椿のような小ぶりで一重筒咲のクラシックで慎ましやかな椿。八重や獅子咲は盛りの瞬間は派手で見事かもしれないが花が落ちた後が汚くていけない。
椿の真価は地面に点々と落ちてなお美しい姿だと思っている。
そんな落ちた椿を拾って陶蟲夏草鉢に添えてみた。
その小さな閉じた世界に引き込まれ、周囲の景色が視界から消えるような気がする。
土曜日は朝、ジョギングして汗を流し、工房に引きこもって平日の仕事を忘れるのが日課になりつつある。日曜日は子供と遊び、ご飯を作る。毎週繰り返しの変わらないルーチンというのも落ち着く。
大きめのジオラマ鉢、高さのあるカブトムシ蛹鉢など6点は小窯に入れるとすぐ一杯になってしまうので大窯を使わせて頂いて素焼きすることにした。
そして上段には小さめの追加納入用の鉢を9つ。全てが追加納品できるとは思わないが7つは持っていけると良いな。
前々からアイデアを温めていたビカクシダをマウントさせる為の蛸壺鉢を作った。
遠目には形の輪郭がしっかりとしているけれども近くで見るとヨレて綻んでいる粗い造形にしたい。
中には水苔をたっぷりと詰めて開口部を大きくとったダンゴムシの背中からビカクシダを生えさせられたらと思っている。
鉢部分は底が丸い。立たない吊るす前提の鉢なので「しった」の上に置いて作業。
紐でビカクシダを抑えるのにあった方が良いのではないかと思い、内側に突起を6つつけた。どうだろうか。試行錯誤。
最寄駅は都立家政の園芸店とイタリアンレストラン、ベーカリーカフェが複合した「ガーデンスクエア」。
1階には天井から床までの大きなガラスパーティションを開け放って開放的なベーカリーカフェ「フェリーチェ」。新緑の瑞々しいウンベラータやハンギングのヘデラなどが目に楽しい。
ショーケースの中のパンを焼いて出してくれる。メニューのモーニングセットを頼むこともできる。私はチリドッグを焼いて出してもらった。
元々は造園業者さんで庭木の栽培もされている広大な土地がある。それに面するようにデッキチェアやテーブルのテラス席も設けてくれていて桜を見ながら寛げる。
2階のイタリアンレストランは窓の外に桜の枝が広がりこの季節には伺いたい店の一つ。
もう一つの好みの桜スポットは高円寺から阿佐ヶ谷方面に向かう緑道の桜。門のように桜の枝が頭上に伸びており、ジョギングして向かうと桜に吸い込まれていくかのような感覚になる。
高円寺駅前の長仙寺の山門。仁王像、般若の鬼瓦、桜の競演。
鉢と同じぐらいの直径のヒヤシンスの花房。
チャームポイントは固い前翅の浮き上がった隙間から生える子実体。
根津嘉一郎から売却され旅館として生まれ変わる際に加賀の成巽閣を模したラピスラズリの壁。
ここの暖炉は一番好きな暖炉かもしれない。
チューダー様式にガンダーラを注入した折衷様式の特注品。最近の売れっ子で旅館に缶詰になって執筆する作家はいるのだろうか。
暖炉上の鉄フードの梵字デザインは何度見ても素敵。暖炉の火床の奥の竜の彫刻も焦げて趣がある。
スタンドグラスも素晴らしい。何一つ隙がない。
鉄道王「根津」の別荘でもあった熱海の起雲閣。その後は高級旅館になり数多くの文人に愛されたそうな。尾崎紅葉はこの佇まいで瓶の葡萄酒を飲むか。
谷崎潤一郎、志賀直哉、山本有三、1948年に起雲閣に宿泊し文芸対談。
三島由紀夫 起雲閣に新婚旅行で宿泊。45歳で割腹自殺。
太宰治。起雲閣にて1948年3/7〜3/31滞在中に「人間失格」を執筆。翌年 39歳で入水自殺。
太宰治はこんな高級旅館に1948年に3週間以上も泊まれるほど裕福だったらしい。元々青森で4番目の富豪の家に生まれ、1946年から連載を始めた「斜陽」がヒットしていたらしい。「人間失格」は自殺する1ヶ月前に書き上げ、死後大ヒットして1949年の高額納税者にランクインしているとのこと。
金持ちは風呂にもこだわるのだな。しかしその頃は露天風呂趣味はさほどなかったのだろう。