日本人の殆どにはクリスマスなんて関係ないだろう、と悪態をついていた時期の方が私は長い。昔の自分を棚に上げている自覚はある。クリスマスも起源は単に冬至の祭りだし、ま、いいか。私が子供の頃に比べてもクリスマスはすっかり幼少から子供たちの間にも定着し、無視して過ごすというのも難しい。
私自身には家族でクリスマスを祝った記憶はない。しかし子供の頃から残してくれた飾りなどを見る限り、クリスマスパーティーのようなものはしてくれていたらしい。
そういや長男が今日、高円寺と横浜の前はどこに住んでたの?京都なんだ。ぼく、その頃のことあまり覚えていないんだよね、と幼稚園児の割にはしみじみと大人びたことを言った。
結局、子供達が大きくなってからどれだけこの頃のモノゴトを覚えているかなんてわからない。しかし子供達が大きくなって行くにつれて辛いことも嫌なことも増えていくし、幼少の頃に幸せだったと感じられる記憶や記録は何かの折に些細ながらも支えになることがあるのではないか、と思っている。大層な贅沢はできないけれど、多少の余裕がある間は目一杯楽しませたい。
嫁さんが風邪でダウンしたこともあり、夕食は私が作ることに。以下、備忘録。
ハニーチキンhttps://www.kyounoryouri.jp/recipe/7752_ハニーチキン.html
煮詰める白ワインが蒸発するまで待てなかった。もう少し強い火力にすべきだったのかもしれない。結果論、火が通っていたし、美味しかったので良しとする。次男坊がこればかり食べたがった。高円寺の名物肉屋「JUMP」の素材勝ちかもしれない。
オニオングラタンスープ。https://www.kyounoryouri.jp/recipe/2038_簡単オニオンスープ.html
一番作るのに時間かかったのはこれ。玉ねぎをひたすら炒め、さらに無塩エシレバターを加えてこんがりと炒める。エノキやエリンギをふんだんに入れるというアレンジレシピだが、きのこ類のトロトロとした食感は合う。刻みパセリとチーズを乗せて焼いたバゲットを漬けて食べるという方式。
たこのエスカルゴ風
https://www.kyounoryouri.jp/recipe/3270_たこのエスカルゴ風.html
これはどちらかというと酒の肴。蛸の弾力は幼児には堅すぎたようだ。レシピよりもバターを軽くし、新鮮な蛸ならば火を入れすぎずに強火で一気に炒めた方が良さそうだ。晩酌のアテにまた作ってみたい。
ケーキは息子がキウイと苺を飾り付けてくれた。スポンジの2層の間にこれでもかとキウイと苺のスライスを敷き詰めてくれたおかげでかなり嵩の高い豪華なケーキになった。有名店に頼んでもクリスマスケーキは作り置きの解凍品だったりして酷くがっかりすることもある。作りたての生クリームとフルーツを盛りだくさんにすると素人が作っても手堅く美味しい。
来年は生クリームを絞ってこんなオンブルケーキを作ってもらおうか。もっとぐちゃぐちゃになるのかもしれないが、良しとする。
9ヶ月前のフランス出張でアルザスから苦労して持ち帰ったキャンドルスタンド。こういうものを陶器で作ってみてはどうだろうか。いっそ、さらに和の方向に張り切って、蚊取り線香を灯す陶製の蚊遣りにするとか。
ここ半年間、息子が義理の母に強請り続けたプラレール「ガチャットアクションステーション」が届いた。箱からして既に大きい。またプラレールが部屋中に散らかることだろう。夜中にトイレに行く際にプラレールを踏んで痛みに目を覚ますあの冷や汗は格別だ。
食後にツリーを中庭に設置して、ダウンジャケットを着込んでホットココアでもみんなで飲もうかと思っていたが風邪気味の人が多いので割愛。来年はしてみたい。
今のところ子供達も大いに喜んでくれるから、コテコテにクリスマスを盛り上げるのも良しとしよう。
「今日のご飯、美味しかったね。おとうさん、今日は頑張ったね。お疲れさま。夜はぐっすり寝るんだよ。お父さんはプラレール好きな人だよね。明日一緒に遊ぼうね」と少し上から目線なお言葉を賜った。まだまだ素直で可愛い時期だ。
親の心、子知らず。独身の頃は自分が子供に対してこんなに心を砕いてあれこれするようになるとは正直、思わなかった。子の幸せを願ってするあれこれからは見返りはないし、空振りに終わるかもしれないし、大きなお世話になるかもしれない。それでも何かせずにはいられないのはそこに意味や役割を見出したい親の業かね。些細なことからも仕事よりもやり遂げた感を得やすいのが本音。
朝起きてプレゼントに歓喜の子供達。「サンタさんに会いたかったなあ。来年は会えるように作戦たてる」だとさ。