義経雑記。兵どもが夢の跡。

世界遺産にも登録された名高い中尊寺金色堂よりも毛越寺よりも心に響いたのは質素な高館義経堂だった。

 

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夏草や兵どもが夢の跡

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本島で川の両岸がこれだけ開発されずに緑に包まれた光景も珍しくないだろうか。「国破れて山河あり」そのものの光景。

 

義経の生母であり絶世の美女とされた常盤御前。義朝の子を産み、清盛の子を産まされ(史実か不明)、一条長政の子を産まされ、そして子を次々と失っていく。

 

なぜ頼朝は義経を討ったのか。信望厚い義経への嫉妬だという説。平定して争いの無い世の中を作るために心を鬼にして除いた説。高館義経堂の受付の方は嫉妬説を取る。私は戦乱の英雄としての軍事能力だけではなく清濁併せ呑んで貴族も含め安定した統治基盤を作るためには分裂のリスクを排除するのは止むを得なかったのではないかと思っている。

 

秀衡との縁は一条長成が秀衡と親戚関係だったことにあるが、落ちのびる義経の口利きをしたのは常盤御前の線が強いと受付の方は思っているそうだ。

 

義経はなぜ出家しなかったのだろうか。一時的に出家しても配下に担ぎ出される恐れは消えなかったから偽装出家と見做されるとわかっていたからか。

 

白黒の大河ドラマは霧の中に消えて終わる。平成の義経は首を落とされるところまで描かれる。高館義経堂の受付の方はここでは落命していないと思っているとのこと。

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義経伝説は何故。首検分もなされたのに北海道に渡っただの、チンギスハンになっただの夢想的伝説は多い。

 

頼朝が伊豆に流されていた時に頼朝決起の後ろ盾をし、北条政子を通じて源氏の後の支配を確立した北条家こそが勝ち組か。

 

清盛が頼朝の助命を認め、そうして生き延びた頼朝が後年になって平家を討つ。頼朝は清盛に命を救われたからこそ後年に源氏に牙を剥くものが現れないように平家の根絶やしを徹底したというのは信憑性のある話だ。これを清盛の驕りと見るか情けと見るか。

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アニメ「平家物語」を観よう。時間が許すならば大河ドラマも観たいが長すぎる。

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この新鮮なカーネーションが捧げられているのを見て不覚にも泣けてきた。

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帰宅してから知ったのだが今年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」という頼朝や義経にまつわる話だそうだ。そんなことを知らせるポスターは平泉滞在中に一切見なかった。昔は大河ドラマのロケ地はそれを観光誘致に大いに取り上げていたように思う。