作陶について 土の風化と崩壊を取り込む

「陶蟲夏草」という作家名で冬虫夏草をモチーフに植木鉢を作っている。

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instagramのアカウントを作り作品を載せ始めたらありがたいことに誘われるがままに今年は5つの展示会に出すことになった。自ら博物フェスティバルというイベントに参加応募してみようと思ったが作品を作り溜めできそうになくて断念した。

 

1〜3月のもの

6月のもの

4〜7月のもの

10〜12月のもの

12月のもの

常設展示していただいているギャラリーにも必ず追加納品したいと思っている。

それとは別に個人の制作依頼が2件
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蟲から菌や茸へと生が託され紡がれていく過程で蟲が苗床となり朽ちていく儚さや虚しさ、それを糧として育ち実るささやかな喜びのようなもの。整理できない曖昧で混じり合ったものを混ざり合ったままに。

 

単に表現したいと思っていたし、それが伝わる人がいれば良いなと思って作ってきた。いろいろお声がけ頂くようになったのはそれが少しづつでき始めているからだとは思う。ただ、まだ私の求める理想とは程遠いものを出していることに恥ずかしさや後ろめたさがある。

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次の展示会の作品を制作し、その次の展示会の作品の構想を練りながらもふと気を抜いた時に「どん」と落ちるような虚しさにも囚われる。

 

鳥山明さんがなくなった。アラレちゃん、ドラゴンクエストドラゴンボールにどれだけの時間を接していただろう。近所の幼馴染と一緒にドラクエをして遊んだ。海外に住んでいる時、友人宅にドラゴンボールが全巻あって最新刊を読みにいくのが楽しみで仕方がなかった。鳥山明作品を思い出すと友人との思い出が芋づる式に湧いてくる。自分の子供時代が失われたような喪失感がある。そしてちびまる子ちゃんの声優さんも亡くなった。

 

バイデンとトランプが相変わらず大統領選を争っており、そのどちらかしか選択肢がないことにただ暗い気持ちになる。有能な候補者が出てこない仕組みに巨大な機能不全を感じる。

 

興味関心をなくして米や欧州からの支援の途絶えたウクライナはロシアの目論見通りに屈するのか。パレスチナも見捨てられつつある。

 

帝国主義を批判しながら自らの軍事力を強化し恫喝外交を続けている隣国の経済も停滞し始めて不穏な気配もし始めた。

 

恵方巻きの大量廃棄だとか過剰繁殖させた犬猫の死だとか電車や雑踏での無差別殺人だとか10歩進んで9歩後退するのが、時には11歩後退する時もあるのが世の中なのだろうなと思えてくる。

 

両親は老い、理屈で考えれば20年後にはいないことに思い至る。自分も健康診断の結果は今までAだったが前回からD判定だらけだった。確実に無理が利かなくなっている。

 

売上と利益の伸長を目指すその先に何があるのかわからず成長が自己目的化した企業で、キャリアとか自己成長に冷め切ってしまった。

 

活躍する友人や先輩後輩の報に触れるたびに同じような情熱を自分が持たないことに残念に思ってしまう。

 

仕事は家族を養う収入のためと割り切った場合、経済基盤に大きな懸念はない。幸にして息子たちはそれぞれに人格を持って育ってくれているし、今後もゆるやかに健全に親を離れていくだけだと思う。自分が死んでも遺族年金が支えてくれる。

 

とてもではないが後世に残るようなシロモノではない高校生が図画工作で作れそうな陶器鉢を忙しく作り続ける自分に何をやっているのだろうと冷めた目で俯瞰してしまう瞬間が増えた。自分自身が世の中の何の役にも立たずに潰えていくのを自覚する。

 

こういうことが諸行無常、浮世の示すところを肌感覚で感じているということなのだろうか。遥かに速いサイクルで生死を繰り返す蟲にも同様の苦悩や葛藤、虚しさがないとは言い切れない。

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作りたいのだから今後も陶器は作ろう。作品の精度を上げていって1作品10万円以上で売れるようにしていきたいわけではない。多くの人が少し覚悟して迎え入れられる価格帯で届けられるようでいたい。作品の質を遥かに引き上げていきたいという気持ちはある。制作日数や密度を増やしていくのではなく粗くとも洗練された形。雑そうに見えてハッとする線が潜んでいるような、最高に美しい素描のような作品を目指したい。

 

積み上げた実績というか基盤は明確に進みたい方向が出てきた時の足場になるのではないか。その時のために目先の展示会に向けて作品制作を頑張ろう。虚しさに負けるな。

 

「土の風化や崩壊」を取り込もう。作品に少しばかりの要素を加えるにあたって、結構多くのことをうだうだとあれこれを考えているのだという話。