20鉢の梱包発送準備完了。「売る」ことについての考えの整理。

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机の上のスペースを占めていた陶蟲夏草鉢の一群を梱包した。1箱を11月から販売していただく雑貨屋の京都店。1箱をその雑貨屋さんのネット販売部門へと郵送する。

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値付けというものは本当に難しい。アートとしては安い。ハンドクラフトとしては高い。そんな値段だと思う。
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もっと買い求めやすい値段にしたい衝動に駆られる。素人趣味人がそんな値段で売ろうだなんておこがましいとつっこむ第三者的自分もいる。f:id:mangokyoto:20231029225841j:image

自分の作品にそんな価値があると思ってるの?自信過剰じゃないの?

そう思われてるような気もする。
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しかしその値段でも手放し難い作品もある。本音を言えばその値段で買ってくれるなら気兼ねなく手放しますというものもあったりもする。
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ただ、確実に早く売れる値段にすると追加補充に追われ、数を作ることに追われ、創作意欲が削がれる気がする。それを一番恐れている。
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極論、売らなくてもいいのだ。換金したいわけではない。ただ、店頭に置くと多くの人の目に止まり、同好の士が見つかるのではないかとの期待値で売り始めた。その初心とスタンスは持ち続けたい。
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自分がいいと思ったものが反響は鈍く、そこまで気に入っていないものが好評なこともある。
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その反応で自分の視野が広がることもある。
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自分の中だけで好きを追求することも自分の作風や世界観を確立する上で大事だけれども
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他の人との交流で気付かされることもある。
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過剰に期待することなく、一定の間隔で池に小石を投げ入れ続けるようなイメージ。
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繰り返し小石で波紋を作り続けると何かが起こるかもしれない。何かにつながるかもしれない。
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販売していて少し物足らなく感じるのは、展示販売のしやすさのために基本的に土を入れて植物を植え込むことはしない。ドライプランツを挿すだけだ。
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植物が陶蟲を苗床にして育つかのような姿が完成系だと思っているのでその姿を見せられないのは片手落ちのようにも思う。
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参考作品として植え込んだ陶蟲夏草鉢を並べて展示してもらうべきなのかもしれない。
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価格帯からして展示販売で完売ということは基本的に無いとも聞く。ならば何が売れ、何が売れずに出戻ってくるのかも興味がある。
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とりあえず完売するために値下げをするのはやめよう。
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自分の目指す世界観を構築していくために全て販売のために手放さずに、気に入ったこれぞというものを手元にもしっかりと残していかないといけない。一通り京都、東京店での販売を終えたら自分の手元に置くさらに精進した作品群の制作に取り掛かりたい。
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そして世界観を伝えられる参考例のような写真撮影が必要だ。

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もっと鬱蒼とした苔の中に包まれるように置かれた陶蟲夏草鉢、そしてそこから生える多肉植物やサボテン。必要なのはそんなテラリウム撮影ブースかもしれない。