派閥と権威 意味なく紫陽花

台風が二号過ぎて行った後に、ようやく暑さが戻ってきた。紫陽花ももう盛りを過ぎつつある。今年は咲き終わったら庭の紫陽花をしっかり剪定しないとな。


午後、扇絵付師、仏画師、美術修復の友人3人が赤子の顔を見に訪ねてきてくれた。皆、二十代の女性で普段話している印象からは仕事や作品が想像つかない。


皆、美術方面の人なので、時折そちらの話になる。京都画壇というやつも東京の画壇からは距離があり、京都芸大を中心としたなかなか狭い世界のようで、派閥というものとは無縁ではいられないらしい。明確に支持する師匠がいると、他の派閥の息のかかった合同展示会などでは選考から外されたりと作品の善し悪しとは別次元の力が働くこともあるとのこと。


また、日展などで入選するにも、投票制なので実質的には審査員となっている画家の弟子の中から有望な若手が入選する傾向にあるらしい。ようは審査員の派閥毎に枠があって、その枠に入れたら入選するようなものだと。逆を言えば、誰の派閥にも属さず誰の加護も受けない無名の若手が輝くような作品を持ち込んでも、票が集まらないものだから入選しようがないのだそうだ。審査員が自らの弟子に票を投ずる代わりに無名の新人に入れたところで、派閥の若手からはあの師匠は自分の弟子を推してくれないとその師匠の下を去るだろうから、師匠としても身動きは取りづらいものなのかもしれない。


思うに、日本人は権威に弱い。ハリウッド映画も全米ナンバーワンだのアカデミー賞受賞だの箔がつけば途端に客足は伸びるものだから各国の中で日本では結果が出揃った一番最後に上映するというケースは多い。同様に絵画も作品そのものの善し悪しだけではなく、どこそこでの入選実績が作品の売れ行きや価格に大きく影響する。食べログの評価を気にして店を選ぶ国民性だ。そうなると日展の「入選」という実績も画家が食べていくための貴重な資源となる。それを画家仲間できちんと管理して安定的に食べて行けるような秩序を作る方向に組織的な動きが生まれるとしても不思議ではない。そしてそのような資源への影響力は権力の基盤にもなる。そうして派閥は生まれるのだろうか。


しかし秩序だった世界から順当に育っていく画家の作品にどれだけの魅力があるのか。技巧的だったり師匠の画風を継承していたりもするのだろうが、素人が一目惚れして嵌り込むような魔力を持った作品は生まれるのだろうか。


得てして画壇の重鎮は天明屋尚山口晃のような売れっ子のモダン日本風画家を大衆迎合的だと下に見ていたりする。しかしその反面で画壇内で派閥を作ってせっせと権威付けして肩書きに弱い文化人気取りに作品を売りつけているのだとしたら貧相だな。浅薄だろうと迎合的だろうとその作品を見て欲しいと思ってもらえる客のいる彼らのほうが画家としての本懐を遂げられているのではないだろうか。


巨匠や大家の展示会には行列を成すくせに評価の定まらない若手の作品を買うのには金を惜しむというのが日本の美術愛好家らしい。嗜好品ぐらい本当に自分の好きなものを買えばよいのに。過酷な小遣い制で自由のない自分としては叶わぬことだけれども。