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旧友との親交を27年ぶりに温める

私がオーストラリアで住んでいた街を引っ越しで離れて以来、27年間も連絡の途絶えていた小学校の同級生の友人がいる。


ほぼ住んでいた2~3年間、週に2,3度お互いの家を行き来して放課後の数時間を過ごした。よく家でファミコンをやったものだ。「つっぱり大相撲」に夢中だった。二人で段ボールでコースを作ってミニ四駆でもよく遊んだ。彼の家族旅行に1人参加させてもらったこともある。彼の家にはプールがあって、夏にはよく遊びに行った。学校で弁当を交換することもよくあった。私はオーストラリアでも可能な限り日本食を食べ日本式の生活をする家族でありながらも、彼の家に紛れ込むことで現地の人の生活を覗くことができた。ベジマイトを知ったのも交換した弁当からだ。私の母の作りこんだ弁当と、パンに何かを挟んだサンドイッチに林檎だけというオーストラリア式の弁当では全く等価交換ではなかったのかもしれないが、私はそれが嬉しかった。彼も、「おまえんちの弁当は豪華で美味いなー」と喜んでくれていた。母が作ったカレー風味のビーフジャーキーが彼の大好物だった。彼も日本式の生活や食事、ゲームや遊びを垣間見て楽しんだのだと思う。


日本に帰国して、引っ越し先から手紙を送ることはなかった。小学生の自分に手紙を送るという発想はなかったし引っ越し先での生活に順応するだけで忙殺されていたのだろう。EメールもSNSもないような時代に男同士の友達で文通なんぞしないだろう。小学生の力では会いたいからといっても数千キロの彼方にいる彼には会えないわけだし手紙なんて女友達同士でやるものだと思っていた。連絡も取りあわないその程度の関係と思われるかもしれないが、それでも私にとっては親友であり、今も変わらないと思っている。文通して連絡を取り合っていたかどうかなんて関係ない。


高校生だか、大学生の時に手紙を送ったが返事もなく、届いたのかどうかすらわからなかった。彼ももとにいた家から引っ越してしまったようだった。働き始めてから数年して海外出張で近くまで行く機会があり、連絡することを思い立ってFacebookで探してみたが彼を見つけることはできなかった。それからさらに5年ほど経った今朝、ふとしたことからFacebookで検索してみたら案の定、同姓同名がずらずらっと表示された。しかし、今回は今まで見たことのない友人の面影の残った顔写真が表示された。少しどきどきしながらメッセージを送ってみた。○○公立小学校に通ってたXXかい?


心の片隅では、帰国後にすぐ手紙を送らなかったこと、その後音信が途絶えてしまったことを彼が怒っている可能性を危惧していた。彼がどんな大人になったのかもしらないし、日本や日本人のことを嫌いになったかもしれない。


少し乙女じみた心持でいたら、1時間ほどして返事があった。


「おーひっさしぶりだな。そちらの人生どうよ?こっちは2年前に結婚してボンダイに住んでるよ。3年前に日本に旅行して、そこでプロポーズしたんだ。」


「小学校の時に二人で作った本のこと覚えているか?ペンギンのやつ。あれ、両親の家に置いてあるから今度帰った時に写真撮って送るよ」


そんなものを作ったかどうか記憶は定かではない。でも彼が私の名前を見てすぐ認識してくれただけでなく、27年以上前に二人で作ったという本のことをすぐ話題にするからには、その後も時折、私とのことを思い返してくれていたのだろう。数千キロと27年を隔てて思いがけずも旧友と繋がったことに涙が出そうになった。お互いがお互いのことを心の片隅で気にかけていたのがわかった。


嫁さんと二人で日本語を習い始めようかと考えているところだという。もしかしたら今年、日本に旅行にくる機会もあるかもしれないという。


地球の反対側の異国の友人と繋がれたことに胸が熱くなった。幼子二人を連れてオーストラリアに会いに行くことはとても困難なので、是非二人の来日プランが実現してほしい。Facebookに感謝。昔だったらもう二度と会うことなくさらに数十年がたっていたのではないだろうか。そして、そのままお互いの人生を終えていたかもしれない。