持続性

「持続性」をテーマに講演会を企画する機会があった。企業でのことなので持続性は暗黙のうちに「持続的発展」となっていたのだが、二、三思うところがある。


全体としては会社の利益率や成長を損なわない範囲で最大限の努力をする、そして持続性に沿う事業展開が消費者のニーズに叶うケースが増えているといった論調で講演会は終わった。しかしもし自然環境をこれ以上悪化させることのない資源循環状態を本気になって目指すならば理想とは大きな隔たりがある。


そもそも、株式会社という形態をとる営利企業が経済主体の大部分を占めている。それらが永続的な成長と肥大化を無条件に前提としていることが問題なのではないのかね。どこまで売上規模、社員数、活動規模を伸ばしたら成長をやめるという際限がない。どう効率性を改善しようとも無限の肥大化の為には現実的にはより多くの資源を使うことになりがちだ。誰も「わが社は今後は1兆円の売上規模を維持するだけでそれ以上の成長はさせません。あとは効率性の向上やら再生エネルギーへの転換に注力します」とは言わない。


株主は配当とキャピタルゲインを期待して投資するが、利益率の改善には自ずと限度があるから、売上を成長させることへの期待がない限りキャピタルゲインは生まれない。もし売上が一定で利益率の改善も天井を打ったら、数%の配当利回りだけしか株主は得られない。そうなれば事業リスクには見合わなくなりよほど高い配当利回りでもなければ株主は国債社債などに流れてしまう。まあ、何が言いたいかというと売上と利益の伸長からくるキャピタルゲインを当てにした投資によって株式会社が成り立つ以上、際限の無い成長は株式会社の本能というか宿命的行為なわけで、その生い立ちからして持続性や循環という概念とは相いれないように思う。


営利企業の持続的発展への取り組みは乱暴に言えば資源の枯渇を如何に先延ばしにするか、環境の悪化を如何に緩慢にするかであって持続性と引き換えの成長の放棄などけして受け入れられないだろう。


そうなると、それができるのは「食っていけるだけの今の顧客数を維持していければ構わんさ」と言える老舗有限会社ということかね。