2020東京五輪開幕

いろいろな資料で1964年の東京オリンピックのことを見聞きした。東京羽田モノレールや東海道新幹線などが整備され、カラーテレビが一気に普及し、各地に運動施設ができて市民スポーツが盛んになった。高度成長期の始まりで日本人が世界の表舞台に本格的に復帰する契機となり日本人が自信をつける大きな転換点の一つとなった。そんな話だ。


「オリンピックには大変な費用がかかるので、いろいろな点で国民に負担をかけ、犠牲を払わせている」(東京60.6%、金沢53.7%)、「オリンピック準備のために一般市民のかんじんなことがお留守になっている」(東京49%、金沢29%)、「オリンピックに多くの費用をかけるぐらいなら、今の日本でしなければいけないことはたくさんあるはずだ」(東京58.9%、金沢47.1%)、「オリンピックは結構だが、わたしには別になんの関係もない」(東京47.1%、金沢54.3%)

これは2020年大会ではなく1964年大会の開催前の世論調査結果だ。別に全国民が諸手を挙げて歓迎していたわけではない。2020年大会もコロナ禍の中で感染拡大リスクを冒して開催する意義があるのかなど賛否両論だが、開催後に世論は前回大会のように変わっているだろうか。もう始まった以上、やって良かったと思えるような内容であって欲しい。


いつの間に開会式当日になった。当日までは家族内で話題に登らなかったが、家族みんなで開会式を見ようということになった。この日は子供達はリビングに布団を敷いてお祭り気分で夜更かしを許された。選手団入場のカ行の国で二人とも寝落ちしていたけれども。


看護師をしながら出場を目指していた津端ありささんのコロナ禍での選手の孤独な戦いを表した演出。


各国選手団の入場の音楽がドラゴンクエストなのはその意外性と選曲の良さに興奮した。海外ではさほど売れてないし知名度はないかも知れないが、日本人がこれほど湧くゲーム音楽はないだろう。


MISIAによる国歌斉唱はこの大舞台を張れる歌手がいることに誇らしくなる。


1824台のドローンによる群体飛行演出は最も新しいオリンピックらしさだったがintelのパッケージプランなのは少し残念。国産の技術で実現できていたら尚喜べたのだが。


仮装大賞を彷彿とさせるピクトグラムはコミカルでくすりとしながら見入った。


バッハ氏の深夜の長すぎるスピーチは顰蹙を買ったそうだがある意味、期待通りなのかもしれない。


開催への感謝を述べた今大会初金メダリストを日本にもたらした柔道の高藤選手。選手生命を考えれば今大会が最後の選手も多い。オリンピックは国際スポーツ大会で試合で競うことが本筋。開会式の派手さや創造性、政治家の外交、経済効果を当て込んだ取り組みなど周辺が肥大化しすぎたことが浮き彫りになったように思う。