自己分析-心理学「補償の防衛機制」

「補償の防衛機制」。心理学用語。何かがうまくいっていない劣等感や不快感を他の何かで補うことによって自我の崩壊を防ごうとする防衛心理。


たぶん、人生において今のところ私は仕事に失敗しているとまでは言わないが成功はしていない。自分の仕事キャリアはうまくいっていない。全身全霊で取り組める情熱を注ぐ対象を私はこれまで仕事にできなかった。胸躍るような中身ではないが待遇の良い仕事を得て卒なくこなして時には楽しみながらこれまでうまくやってきたというのが正直なところ。


趣味もさほどなく仕事一辺倒の野心的な人を多く見た中で、私はそうはなりたくなかった。若い頃は60ヵ国以上を旅して異国の文化から自分の好きなものを集め、ロードバイクやスキーを楽しみ、今でも美術館巡りもカフェ巡りも御朱印集めも、読書も、映画鑑賞も料理も家庭菜園も多肉植物育成も好きだし、最近は親子キャンプ、昆虫飼育も新しく学ぶことだらけで楽しい。好奇心のままにあれこれ手を出すので全く一人で暇することはない。

趣味の数々の中で多少比重が重いのが陶芸だが知れば知るほど本職の作家の技術の高さやその世界の厳しさには打ちのめされる思いで、手広く趣味を楽しむ私ではてんで話にならない。

「まあ趣味でやってるにしては上手な方なんじゃない」という本業枠の中では生存不能レベル、アマチュアの中では平均か多少マシかというところ。


よその家庭はよく知らないけれども、子供とかなり関われている方なのではないかと思っている。よく遊びに連れ出しているし、キャンプで一緒に新しいことを学んだり挑戦したり、週末も可能な限りご飯を作ってあげたり一緒に作ったり、寝る前にベッドに一緒に入って話を聞いたり。子供達もかなり父親に懐いている方だと思う。


仕事でそういう仕事、役職についている人の中では趣味が充実している方かもね。

作陶している人の中では本業も別にあるからか人真似や小銭稼ぎの量産ではなくオリジナリティのあるものを作れている方かもね。

仕事も趣味も充実している人の中では子供ともたくさん遊んで面倒も見る良い父親してる方かもね。


条件でフィルターをかけた絞り込まれたグループの中では良くできていると言えることが多くて、各領域での純粋な尺度では仕事の充実度でも作陶技量でも子育て関与度でも平均より上という程度でしかない。こんな状況を作り上げてきた自分の心理には表題の「補償の防衛機制」というものがあるのではないかと思った。


どこか一つの主戦場で勝負せずに生きてきたとも言える。土俵に立たず、勝負すらせずに負けない生き方のようなものにしてしまっている。どの分野でも華々しい成果とは無縁な水準。「バランス感覚」という自己正当化の下に逃げ込む先を複数用意してどことも真剣には向き合わずに転々としているのかもしれない。


悩ましいのは負け惜しみではなく、本心から仕事でさらに広い権限や地位や成果を求めているわけではない。本心から陶芸だけで食べていく専業陶芸家として売れる同じ作品を数作っていく覚悟も願望もない。突き詰めてそれだけがやりたいと絞り込めることが無いのも本音だ。それぞれの分野でやりたくないことから避けるために分散化して都合が悪くなるとあちらに避難してこちらに避難してやってきたとも言える。


いいとこ取りの好き勝手な生き方とも言える。

上手に複数面を両立させているとも言える。

子供にとって良い父親で、妻にとって経済基盤を確保しつつ悪い遊びもしない夫で、マンゴー殿にとっても良い飼い主。本人も暇せず色々楽しんでいる。悪くないように思うがなんとも平凡で志もないとも思える。


そんな自由で気楽な生き方が自分には合っているのだと思う日もあれば、だからお前は中途半端でだめなのだと思う日もある。懸念としては年を重ねるごとにだめだと思う日が増えてきたように思えること。


補償の防衛機制心理に囚われている人がミッドライフクライシスに陥るのは必然かもしれないし、逆説的にだからこそ重症化しないような気もしている。単に自分の理解を深めるための備忘録。