「陶器を見に来たかったわけね」と妻に言われた。いや、箱根美術館の苔庭を一度は見たいと思っていたのであって箱根美術館の展示物が殆ど陶器で、箱根美術館が苔庭の綺麗な陶器美術館だとは知らなかった。コロナ禍なので苔庭を歩くのも密にならず良かろうと。そこは信じて欲しい。
図らずも素晴らしい陶器が多くて私は満足だった。もしかしたら私だけが満足だった。
仁清焼っぽい感じだろうか。よく知らないけれども。
現代人の好みや感覚にルーシー・リーの陶器がとても合うように、この江戸時代の抹茶碗も現代人の好みに合う色使いだと思う。青、浅葱、金。夏に使いたい清涼感に溢れている。
青海波が細かいこと。
粟田口というのは私がかつて住んでいた京都の天智天皇陵のある御陵から九条山を越えて南禅寺を右手に三条の坂道を下ったところ、神宮道らへんを指す。昔はここらへんでも盛んに陶器が焼かれていたのか。
陶器の壺と言われたら新興宗教団体に騙されて買わされるものの象徴のような悪いイメージもあるけれども、こんな大きな、しかも素敵な陶肌だったらそりゃ高価だろうな。こういうのは欲しい。なんちゃってでも似た雰囲気の壺を焼けるようになるのが夢だ。薪窯で自然釉というだけで素人にはとんでもなくハードルが高いけれども。
こんな渋黒な陶肌の蓋付き壺も素敵。なんと平安時代のモノらしい。どことなく須恵器の面影が残る。私が死んだら骨はこんなんに入れてもらえたら嬉しい。自分の骨壺は生前に作っておくのもありかもしれない。
緋襷の襷多め。
随分な骨董なのだろうけれども模様の間隔が若々しいというか。
思わず真似て作りたくなる造形と装飾。
埴輪もあった。ウサギだとさ。なかなか斬新なデフォルメ。両前脚と両後脚を一つの筒にまとめるという発想はなかった。
「天冠をつけた男子」という埴輪だそうで、この美術館の収蔵品の中では重要文化財登録がされていて最も文化財的には価値が高いということになる。これが。失礼だが。
私としては圧倒的にこちらのほうがすごいと思うのだよな。ほぼ完全な火焔型縄文土器。国宝の火焔縄文土器とどう違うのかと思えるほど。そして何より大きさに驚いた。
なんと4500~5500年前の代物だそうだ。新潟県出土ということは十日町市の縄文遺跡だろうか。
美術館員さんに伺ったところ、蹴轆轤も発明されていない時代に紐づくりで滑らかな状態の壺を作り、その上に粘土紐で可飾したらしい。4つの突起も後から付けたそうだ。強度的には弱いので突起は持つための把手ではない。
分厚く作って、木のヘラなどで溝を掘ったようにも見えるのだがな。しかも縄文土器の特徴は左右対称ではないことだそうだ。とても有機的で不規則だけれども遠目に観ると端正な形をしている不思議。
このフレアのような輪っか状の部分が好み。こんな大ぶりの花器を黒土の焼き締めできちんと強度を出して作ってみたい。母から頼まれている花器制作を既に1年手つかずで放置している。