犬好きが泣くこと必至の小説「雨降る森の犬」

犬を飼っている人間は泣いてしまうこと必至の小説。

 

「人間は過去と未来に囚われて生きている。なんでも過去の経験に照らし合わせて、未来を予想しようとするんだ。

過去はこうこうこうだったから、未来もこうこうこうなるはずだ。そう決めつけて、時にはやっても無駄だとか、あまりいい結果が得られそうもないからといって、今やるべきことをやめてしまう。

動物は違う。あいつらは今を生きている。瞬間瞬間をただ、精一杯生きているんだ。」

 

「人が動物と暮らすのは、別れの悲しみより一緒にいる喜びの方がずっと大きいからじゃないのかな」

 

山岳写真家の伯父の家に身を寄せる複雑な家庭事情の中学3年生の女の子。

隣の別荘に顔を出す大金持ちの御曹司の美形男子。

つっけんどんで人当たりが悪いがなぜか年下の自分にだけ心を開いてくれる。

蓼科に住む女子の間から嫉妬や意地悪をされる中で御曹司が庇ってくれる。

同じように美形で賢く人間の心がわかるかのようなワルテルという名の山岳犬。

 

ここらへんの設定が夢見がちな妄想というか少女漫画の主人公のようで重厚さに欠けるように思えてしまう。私としては美形御曹司に好意を寄せられる主人公の女の子にも、無論美形御曹司にも自分を重ねることはできない。さすがに犬にも重ねられない。

そうなると感情移入しやすいのは蓼科別荘地の家を拠点にしながら1週間から時には1月間も山に籠って動物や風景の写真を撮り、写真集として出したり写真を媒体に提供したりして生業を立てている「道夫さん」。都会に住む現実逃避嗜好の人間にとってのあこがれを寄せ集めたような男として描かれる。

  • ジビエやらソーセージや地場の酵母パンを駆使して作る毎日の手料理が絶品
  • 登山スキルも一流
  • 写真家として食べていけるほど写真のスキルも一流
  • まっすぐな生きざま
  • 心に傷を負った若者になぜか(むしろ当然のように)慕われる
  • 完璧に訓練された犬と心を通わせながら住む

おそらく男としてとても魅力的なのだろうけれども、独り身を通して何物にも縛られずに自分の価値観に従って生きている。道夫は星野道夫さんがモデルだろうか。

 

妄想小説として楽しむ分には良い。ただ、妄想と美化が過ぎる。犬好きのためのワルテルを軸にした展開がないととても軽薄な物語になってしまうかもしれない。言い換えるならばそれら全てを払拭するほどワルテルの描写が好感が持てる。道夫さんに忠誠を誓いながら主人公の女の子を部下、あるいは舎弟として気高く振る舞う姿が想像できる。そして犬としての人間家族への愛情も犬としての不自由さも。

 

大型犬は寿命が短い。その存在感と10年程度で早世してしまうスパンの短さに私は耐えられない気がする。マンゴー殿がいつかは別れを告げる日が来ることが怖くて仕方がない。

 

 

同僚に、父が脱サラして八ヶ岳でペンション経営を始めたという人がいた。私の送別会にその父が焙煎したという各産地の珈琲豆の詰め合わせを頂いた。

昨今、コロナ禍にあって長野や山梨と東京の二拠点生活というのも流行っているらしい。金曜の夜に東京から長野に帰り、日曜の夜にまた長野から東京に出てくる。

山の土地の一画を買ってソロキャンプし放題なんてのも流行っているそうだ。

サイトで検索すると古家付き物件で500万円前後で物件がたくさん出てくる。

脱サラして長野の自然豊かな環境に移り住むなんてのは昔から東京で疲弊した中年男の古典的な妄想の一つ。終の地としては現実はそう簡単ではないけれども定年後の体が元気なうちに5年、あるいは10年の区切りで山生活をしてみるのも良いのではないかと思い始めている。

読後にそんなこともつらつらと思い出したり、空想したり。

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マンゴー殿が何か言いたげな視線を送っていた。どこまで私の心のうちがわかっているのだろうか。