・子供達が何かに夢中な様を撮る
・「こっち向いて」禁止
・あまり溜め込まずにアルバムにしていく
2022年の正月に撮ったマンゴー殿の写真が亡くなった今にして思うと遺影のようだ。
駄文を書き散らしていることを自覚しているこの雑記ブログも読み返すと時系列で記憶を掘り起こす助けになってくれることが多々ある。
大切な出来事は写真や日記などに記録しなくても心に残るし、記録しないと記憶に残らないものはそもそも大切なことではないという意見もあるのは知っている。カメラを構えず目に焼き付けろ、心に刻めと。私は残念ながら大切な記憶すら忘れると思っているし、大切な記憶は少しでもたくさん呼び戻せるように日記や写真の記録を自分のために残したいと思っている。
愛犬家にとって感涙必至の馳星周の「雨降る森の犬」と「少年と犬」を読んだのは2022年だった。どちらも犬と人の死別が軸になった物語だ。晩夏のマンゴー殿の死は唐突だったはずだが、正月に遺影のような写真を撮ったり、犬との死別に涙する小説を何冊も読んでいたり、無意識に心の準備をしていたと思えなくもない。無論、そんなことは偶然だと片付けることもできる。
偶然かはどうでもいい。振り返って威嚇する顔、唸る顔、甘える顔などもっと様々な姿を、表情を写真に撮りたかった。愛おしく思うのは何気ない動作を撮った写真だ。何かが欲しい時に前脚でちょんちょんと控えめに突っついてくる様なんて最高に可愛かったんだがそんな写真がない。
声をかけてこちらを向かせた写真ではない。
2021年の夏から家族の写真アルバムを作っていない。作ろう作ろうと思いながら止まっている。
週末の熱海で撮った子供達の写真を見返して落胆した。あとで振り返りたいのはこんな「はい、こっち向いてー」と声をかけてポーズをとらせて撮った写真ではないはずなのに、そんな写真ばかりだ。
子供達に顔を向かせるのではなく、カメラマンたる自分が移動して何かをしている最中の子供達の表情を望む角度から撮らなければいけないのだ。ポーズをとらせた固まった写真よりも残したいのはブレてても何かをして心を動かしている子供の姿なはずだ。