- 専業主婦が達成感が感じ辛いしんどさの一端
- 教育ママと化す心理の一端
- ドラマに出てくるような出来が悪い子供を認められなくなるエリート親の気持ち
- 親としても最善を尽くさないといけないという強迫観念の源泉
中国とインドから帰国し、家の手入れや掃除に1日をあて、そして親戚を4人ほど招き長男の誕生会を開いた。
中国とインドから帰国し、家の手入れや掃除に1日をあて、そして親戚を4人ほど招き長男の誕生会を開いた。
「スペードの3」
子供たちの嫉妬や不安、加虐性、優等感、劣等感などは誰もが少なからず似た経験をした青春期の思い出として苦く生暖かく受け入れられがち。その一方で大人の嫉妬や悪意は肯定しようのないものだけど大人になっても子供の頃と変わらずに持ち続けているのではないかね。
そういう内心の醜さや葛藤を描かせたら巧い朝井リョウの洞察と勘繰りは著者本人のことが心配になるぐらいだ。
「何者」では表面的な友達づきあいの裏の卑怯さや卑屈さを鋭く抉り出して白日の下に曝すだけだったが「スペードの3」では誰もが持つ暗い面を受け入れてなお開き直り自らを変えていこうと一歩を踏み出す希望も描かれる。
つかさという劇団女優の描かれ方が興味深い。No1にはなれないスター。ファンからしたら雲の上の存在かもしれないが、本人の視座からしたら尻すぼみの冴えない女優。優等生でこれまでもそつなくこなし、それなりに境遇や能力にも恵まれ、物語の主役になるような悲劇もドラマもない。そんな自分を受け入れ、開き直ってまた一歩を踏み出していく。
「仏果を得ず」
三浦しをんが文楽の世界を題材に描き出した良作。自分には縁遠い世界を垣間見せてくれる作品は好きだ。この作品を読んで、文楽を観てみたくなった。三浦しをんの作品は職業疑似体験の宝庫ではずれが少ない。辞書編纂者、樵、探偵などなど。
単に文楽を極めんとする技芸員たちを描くに留まらず、作品中の登場人物の心情を理解しようと奮闘する過程で文楽作品の様々な登場人物の一見わかりづらい心情と生きざまが描き出されており濃密な作品だ。
他人からしたら愚かで衝動的で刹那的にしか見えないかもしれないが、本人としてはどうすれば正解なのかわからない苦しさの中で、思い詰め、すがるしかなかった手段。誤解やすれ違いが重なり、膨らみ、誰も悪人がいない中で誰もが不幸になっていく。ハリウッド映画の「21グラム」を思い出す。仮名手本忠臣蔵に描かれる忠臣にはなれなかった早野勘平の心情を解き明かす過程をクライマックスに持ってきている点が秀逸。
「仏果を得ず」に描かれる技芸員ほどに、極めたいと思う何かを自分は持ち合わせてはいない。極めたいと思える何かを持っている人が羨ましい。まわりがどう評価しようが自分の価値観と美意識で極めたいと思えるもの。
自分の今の仕事を極めたいと思ったことはないし、今後もなさそうだ。では陶器の道はどうだろう。何も文楽の世界も誰もが一人で極めようとしているわけではない。太夫と三味線が競い合い、高めあっていく。志を同じくする作陶仲間に巡り合えたら、今の仕事を捨て、子供との時間すら斬り捨てて作陶に没頭できるだろうか。自分の頭の中の理想を目指して釉薬の数百万の調合組み合わせの世界に足を踏み入れられるだろうか。多肉植物が好きだからと言って、新品種の作出に時間や資金をなげうてるだろうか。
たぶん、私は劣化版の「スペードの3」における「つかさ」なのかもしれない。属性や境遇などの表面的な情報だけを他人に伝えれば、私の今までの人生はけして最良ではないが誰も悪いとはいわない要素ばかりだろう。むしろ小学校の同窓会なんかにいけば憧れたり羨ましがられる要素に恵まれているかもしれず、成功した一人、幸せそうな一人に分類されるかもしれない。自分を客観視すると、親の愛情も得て経済的に困窮することもなく育った。逆境をバネにするような不幸や試練のエピソードなどもないし、突き抜けたことも何一つ無いと思う。武勇伝になるような振る舞いも何一つない。何事も要領よく、そつなくこなしてきた、が自分自身の正確な描写なのだと思う。
胸を張れるような社会貢献もしていない。そんな冴えなさにこれで良いのかと暗い気持ちになることもある。これだけ恵まれた状況で幸せを感じられない自分自身の性根を申し訳なく思うこともある。胸を張れるような社会貢献ができている人からすれば、行動すればいいだけだ、行動しろよと思われる気がする。頭では分かっているし、すべきかもしれないが何をしたら良いのか頭の中で像が結べていない。仕事も迷惑はかけたくないし、それなりに良い夫であり父でもありたいし、本を読んだり作陶したり余暇も必要としているし。そうこうしているうちに日々は過ぎてしまう。その結果、することなすことが半端に終わっている。だからどうしろというのだ、という鬱憤や葛藤を半端なりにその半端な目の前の物事に精一杯ぶつけているという意味では「仮名手本忠臣蔵」の「早野勘平」に通じるのかもしれない。
悲劇性に欠けた半端な「早野勘平」に通じる自分は「つかさ」ほどに開き直って一歩を踏み出すところまで達観もできていないというわけか。10年後にこの靄は晴れているのか、より深くなっているのか。如何に。
ホテル送迎はとても高く3000INR近く取られる。PrePaidタクシーでも問題ない。
到着ロビー出口右手のPrePaidタクシーはエアコン無しで400INRだった。他は1000や1400と値段はバラバラ。
国内便に乗る際には必ず事前e-check inしておくこと。
市内移動はUberが圧倒的に便利。エアコンの効いた比較的新しい黄色のナンバープレートをつけた白いセダンで料金は決まっているし、回り道もしないし、タクシーよりも安い。値段交渉の煩わしさもないし、道がわからなくて目的地まで辿り着けないこともない。タクシーはメーターを使わずに割高固定料金で乗せようとしてくるし、到着後に高値で吹っかけてくる。行き先を知らなくて道を間違えたり、目的地周辺であたりのタクシーに道を聞いたりウロウロ迷ったりと非効率。
ホテルからやインド人が一緒にいる際には会Uberが利用できるが、目的地から帰る際にUberが利用できない。会社携帯にアプリを入れるよう準備しておくべき。
調子に乗って辛い物は食べないように。赤いカレーが辛いとは限らない。気をつけるべきは黄色や緑のカレーに潜む緑の唐辛子。
欧米人は辛さへの耐性が日本人以上にないのでビジネス会食はイタリアンが無難。リゾットはどこも比較的美味しい。
国内を旅をする時もトイレットペーパーを持参する必要はなかった。ホテルで必ず済ませるべし。
酷暑の中は水をこまめに飲み、昼御飯は慣れないものを口にするぐらいならビスケットや柿の種をつまんで凌いだほうが体調は管理しやすい。
現地の人と食事のご相伴にあずかり親交を深めるならば、腹痛に倒れても支障無いように国内旅行は出張日程の最後に組むべし。
笛ラムネは最強。言葉が通じなくても伝わるし、子供と遊べるし、食べて消えるし、宗教上懸念もない。延泊して史跡観光するならばたくさん持っていくべし。
ムンバイ国際空港のGVKラウンジの食事はけっこう美味しい。外で食べるよりはラウンジで食べるべし。
総じて強行スケジュールだ。
聖なるわけでも不浄なわけでもないから食用。
教会の下で眠る犬。
黄昏てみる犬。
野良犬はやがて世界各国共通の型に辿り着いていく不思議。歪みが少ない平均に近い顔が美人の顔ならば、この野良犬の容姿こそが美しい犬の姿とも言えまいか。
野良猫は野良犬に比べて少ない。ベジタリアンが多いインドでは動物性たんぱく質の含まれる残飯にありつけにくいので猫には不利なのだろうか。
Holy COW!なんて叫ぶインド人はいまだ会っていない。
インド人の顔の違いより牛のほうが識別しやすいような気もする。
栗鼠が西瓜が好きとは知らなんだ。縞栗鼠だね。鎌倉の鶴岡八幡宮に住まう栗鼠は実は渡来の台湾栗鼠。こいつはどうだろう。
何種類かのサルがいる。こちらの手長猿のほうが原始的な振る舞い。
ガジュマルの下で手下にノミをとってもらうのは極楽至極。
おーそこそこ。人目も憚らず気持ち良さげ。
あ。。。(目を逸らす子猿)
最後の晩餐、一人で淋しくホテルで食事していたらフリーダがご一緒してくれるというから期待したらおまえかよ。何代目フリーダだよ。
牛「ゴー ホーム!」
インドは人と動物の距離が近い気がする。人の日常のすぐ脇に動物が暮らしているのだが、でも犬猫にすら名前は付けられていない。なんだか不思議。
アジャンタの広い石窟だけでも驚いていた。それがエローラになると規模が飛躍的に拡大する。
アジャンタの開窟に携わっていた夥しい石工がアジャンタ放棄の後にはエローラの開窟に回ったという。エローラの印象はわかりやすい規模の拡大。その巨大さで信者、不信者を圧倒する威容。
12窟は三階建ての僧院。庫裏など生活に必要な付帯設備を伴う。
この長い回廊が5本ほど並ぶ巨大空間。「北斗の拳」のカイオウ編を読み直したくなった。そんな空虚感が漂う。なんのこっちゃ。
三回建ての巨大石窟。巨躯の石仏と太い石柱が並ぶその迫力たるや。数百人の僧侶が並んで座れたのだろう。
しかしアジャンタ石窟に感じられるような仏教僧が籠って修行に明け暮れた密度のようなものは全く感じない。肥大化し大規模化したがらんどう。これがインドにおける仏教末期であることに何がしかの因果関係はあるのだろうか。わかりやすい肥大化と大規模化は狭義の空洞化の裏返しだったのではないか。
無所有を突き詰めた無衣派や、地中の虫を殺すから農業にすらつかない非殺生など厳しい戒律を科すことで知られるジャイナ教徒はカーストを形成し商業に注力し、今日でも0.5%の信徒人口しかいないと言われながらも国家の25%の納税をしているとも言われる。パーシーも互助の団結で知られ、Godrejなどの財閥を形成している。その点、インドで仏教は影響力を持たない宗教に萎んでしまった。
それにしても、インドの像の豊胸ぶりはなんなんだろう。誇張表現なのか、インド人は弾力のある豊胸が多いのか。まるで旧式シリコン豊胸。こんな像が並ぶ中で修行するのは禁欲に打ち勝つ為の作為か。
13窟以降になるとヒンズー教に変わっていく。石像も牛頭半人やら八面六臂やらファンタジー染みてくる。
みんなやはり、撫でるのだろうか。照りが違う。
エローラの代名詞とも言えるのが16窟、カイラス山の再現を夢見たカイラーサナータ寺院。巨大な岩肌を20万トンもの石を削り出して作り出した巨大一石造りの化物寺院。こうなると、権力者の示威行為。
一部、漆喰や塗装が残っている箇所を見ると石彫の段階で細かく彫り込んでいたわけではなく、漆喰に細かい細工をしていたことがわかる。
カイラーサナータ寺院がかつては全体が白く、赤で模様が細かく描かれていたその姿を想像してみる。遺跡の朽ちた風合いのほうが好みかね。
なんだかみんな小鹿のような雰囲気の家族だった。特に子供。
ここまで幼いと効き目はない。
恒例のセルフィー攻勢。
撮ってくれと言いながら、いざとなると照れるのはやめてほしい。笛ラムネがないと表情は硬い。もっと買ってくるべきだった。
ムンバイから飛行機でアウランガーバードまて1時間。さらに街から車で2時間の距離にアジャンタ石窟はある。川に削り取られた湾曲した岩壁に30近くもの石窟が並ぶ。雨季も修行の日々を送れるように岩を削り出して作ったのだそうだ。
目と鼻の先にある滝壺から急激に地形が削られ渓谷が形成されている。軟質だった地質が一気に削り取られていき、石窟が彫られた硬い地質だけが残ったということか。これは僧が逃れたかった雨季の雨の厳しさの現れでもある。
入口に最も近い第1窟に、法隆寺金堂壁画の源流と言われるグプタ様式で蓮華手菩薩が描かれている。左右に対になって侍るように描かれ、中央にはさらに石室仏殿があり仏陀坐像が説法印を結んで鎮座している。
5世紀といえば西洋画は真正面か真横から描いた躍動感の全くないイコン画の時代。日本とて正面か横顔か、表情に乏しい絵画表現ばかりだったかと思う。その時代に身体を優雅にくねらせ、伏せ目がちに斜め下を向くこの菩薩像の優雅な描写は奇跡的。当時はもっと彩色華やかだったのだろうが、今日の彩度が落ちた風情も素晴らしい。
身体の曲線は現代でも通じる美だと思うのだが、唯一、気になるのが左右の眉毛が繋がっている点。フリーダカーロの源流かね。世の中には繋がった眉毛に美を見出す人が古今東西、いたのだろうか。
当時は壁画の色も鮮やかで、床には布や織物が敷かれて賑やかだったのだろうか。両側の石室で修行僧が寝泊りしていたとのこと。遺跡となった今は色褪せ、静謐さと神秘さに溢れて素敵だと思う。
とても密教的な空気感の濃さ。高度に突き詰め昇華された当時の仏教僧の思念が1500年経っても消えずに留まっているかのよう。気配の濃さは少しおっかない。
アジャンタ石窟も坐像の下には対に鹿が描かれ、台座の隅には獅子が描かれる。目を引くのが左手小指を右手親指と人差し指で摘む説法印。
地球の歩き方には、30窟のうち5窟ばかりを見れば十分などとロクでもないことを書いているが、その選に漏れている窟にも素晴らしいものが多い。
このように奥壁に仏殿を持つ石窟が25近くもあるのだが、其々が異なっており、毎回、開窟する度に施主が思うところの最高の美意識を具現化しようと努力したのではないだろうか。
石仏好きにはたまらんこの並び。自宅の廊下なんぞが漆喰壁になっていて、一部がこのように石仏を収めるニッチになっていたら最高なのに。
残り5つが2階分の高さを持つ仏塔のあるチャイタヤ窟。寝泊りし修行する僧院と異なり、チャイタヤ窟は仏塔など信仰対象を祀ることに主眼が置かれた空間。
鯨の肋骨のような天井の梁組。全てが岩壁を一刀彫りの如く削り出しているというのだから気が遠くなる。
石仏の細かな穴には地衣類が入り込み、緑の斑目となっていた。当時は石肌そのままが露出していたわけではなく漆喰などでさらに覆われていたのだろうか。
第29窟には涅槃像がある。柱の奥に拝むその構成といい、造形といい、溜息が出る。
とても古い史跡や美術工芸は、その考古学的な価値が美術的価値を往往にして上回ると思う。希少だから、歴史的に重要な痕跡だから、その当時の技術にしては凄いから、と。このアジャンタ石窟の素晴らしさは、今の美意識や技術水準に照らしても遜色ない美しさに加えて、経年変化なくして得られない雰囲気を纏っていること。
あの空気感をどうしたら忘れることなくいられるだろう。
井上靖さんには敦煌に続いてインドの物語を書いて欲しかったと思う。
アジャンタ石窟の入口にはなんとも大きなガジュマルの木が気根を目一杯に地に降ろしている。
これまた石窟とガジュマルというのが合う。ガジュマルの樹容に何か仏教義的な何かを勝手に人間は見出してしまうのかもな。
関東以北では気根が滝のように流れるほどには育たないものか。 伐採乾燥されたガジュマルの気根の束が装飾品として売られていないものかね。
死ぬまでに再訪したい。その時、このブログを見返せたら自分は何を思うのか。どう感じ方が変わっているだろうか。