ルーシー・リー展


てっきり上海灘ブランドのようなビビッドな色使いと名前から新進気鋭の中国の若手陶芸家かと思ったが、1995年に93歳で亡くなられたユダヤ系オーストリア人の女性陶芸家なんだそうだ。


造詣の線が華奢で全体の印象が硬質だがシンプル。それでいてトルコ青や彩度の高いピンクなど鮮やかな色を組み合わせる。ルーシー・リーの時代には日本の民藝運動とも縁の深いバーナード・リーチと呼ばれる巨匠が陶芸界にはいたのだが、ルーシー・リーは教えを請うもその斬新過ぎる色使いと線の細さ故に彼女の陶芸は巨匠からは長らく認められなかったのだそうだ。ようやく時代が追いついたのか。


そんなわけで大阪なにわ橋のルーシー・リー展が2月13日までやっているので早速見に行ってきた。12時過ぎの入館時にも人がそれなりにいたが、1時間もすると入場規制をするほど混んできた。皆がお目当てのピンク線紋器や青釉薬器の前では押しあうような人だかりになっていたことだろう。来館者の8割は女性。陶芸趣味の世界も若い女性が目立つ。山に行ってもどこにいってもいまいち元気の無い男達か。


ナチスのユダヤ人迫害、ロンドンへの避難、結婚や離婚など社会情勢や人生の変化にさらされる中で自分の人生において最も重要なことが陶芸だと悟っていったらしい。今では絶大な人気を誇る彼女もようやく作品が高値で売れるようになり生活が楽になったのは60歳を過ぎてからだそうだ。バーナードリーチの評価で売れるかが左右されており、彼の目に留まらなければ陶芸だけで食べてはいけない陶芸界だったと彼女は述懐していた。故人となった今では、彼女の作品はおいそれと買える金額ではない。小生としてはもっと経済的に報われる人生であったならばと思ってしまうが、確立した名声無しに作品の価値を認めることのできる大衆はいつの世にも少ないことを思うと、芸術家の人生は貧窮と背中合わせの厳しいものだと痛感する。評判が悪かろうが無名であろうが自分にとって価値あるものを躊躇うことなく認められるようでありたい。


釉薬の技法、形や装飾など年を経るごとに進化し続けているが晩年期の作品はウィーン時代の作品に立ち返ったような印象も受ける。駆け出しの試行錯誤の頃の作品に既に彼女の美意識は現れている。彼女の作品は無機質で直線的な現代の住まいに合うし、古い民家の中でも部屋の彩りとして納まりそう。こんな器を作れるようになりたい。