登り窯崇拝

陶芸に関して土と火の芸術だと評されることが多い。特に焼締や粉引きなどの素朴な焼物を好む人達はどちらかというと自然派志向で天然素材を愛用し、有機野菜とか田舎暮らしとかエコロジーなんて言葉に響く人達だとの印象がある。とある陶芸作家が登窯こそ土と火の人間にはコントロール仕切れない自然の芸術だと言っていた。彼だけの言ではなく、そのようなことは雑誌などによく書かれている。自然への敬意に溢れているようだが、陶芸の中でもとりわけ登窯は環境負荷の高い手法かもしれないとも思った。


まず2,3日間もの長期に渡って昼夜ぶっ通しで薪をくべて1200度以上の高温で焼くわけだ。ガス窯や電気窯に比べ熱効率は悪いし、大量の有機物を不完全に管理された環境で焼くので二酸化炭素一酸化炭素がでる。大量の黒煙が出る。


登り窯では灰が自然に被ってついた模様や対流、窯内で酸化焼成還元焼成が不安定に繰り返されることで予想だにしない景色と呼ばれる焼斑がでる。それが登窯の醍醐味らしい。しかし裏を返すとコントロールできない偶然に委ねるということはそれだけ試行錯誤を繰り返すということである。


では偶然が味方せず、好みの模様が出なかった焼物はどうなるのだろう。二級品として売られるなら良いが他は廃棄されるだろう。個人の趣味で焼いている場合はやがて全てが捨てられる可能性が高い。しかし一度焼いた陶器は土には戻らない。技術的には可能だろうが経済的にはなされない。数千年前の遺跡から焼物が形を留めて発掘されるように自然分解されることはない。


環境負荷を考えるならば工場の巨大な窯で高効率にガスで燃焼させて製造された陶器のほうが格段に環境負荷は少ない。無論、同一規格を大量生産する工法に習熟すれば廃棄率も低い。


だから登窯を辞めた方が良いなどというつもりはない。ただ、そういう「昔ながらの」「自然っぽい」焼物のほうが今や環境負荷の高い嗜好品や贅沢道楽かもしれないのだという自覚があっても良いのかもしれない。


登窯と同様の効果の出せるガス窯はないのだろうか。マイコンに乱数を使って火力に揺らぎを与える。底に灰を入れて中で舞い上がらせる。登窯仕上げコースとか均一仕上げコースがボタン一つで切り替え可能になれば、大量の薪を燃やした揚句多くの失敗を生み出すこともなくなる。