料理に思う

世間一般に家庭料理ってやつは意外と適当なものらしい。小匙三杯でもって大匙一杯だそうだが、レシピで小匙五杯とか大匙一杯と小匙一杯半なんて表記はまだ見たことがない。大抵、大匙一杯半などとされる。塩少々と言われても、多い少ないというのは比較表現の類いであって何に比較して少ないのかわからんし主観的だ。僅かな量で充分なほど、逆に言うなら僅かな量でも味が変わるほど影響の強い調味料なら尚更、より厳密に量るべきだとも思う。しかしそうはなっていない。


フォーミュラから0.1%の誤差も許されない業界にいると、不思議だ。けっこう適当なものなのだな。以前の麻婆豆腐に実は間違えてトウチジャンを倍量入れてしまった。しかし気にならない美味しさだった。塩を倍量入れ間違えるような過ちを犯せば味も酷いことになるに違いないが、案外レシピ通りに美味しく作れる閾値は弛いのかもしれない。料理は火加減だとか下拵えとかそういう要素が存外に重要なのだろうか。


意外と適当に作ってもレシピが良ければそこらで外食するのと遜色なく美味しく作れるというのが実感。ならばイマイチな料理を出す店はどうなっているのか。結局、準備して食べるまで一時間ぐらいかかることを思うと、外食に払う金は調理時間を代行している対価という意味合いが大きいのかもしれない。技術料への対価と言えるのはそれなりの値段の料理屋からかもしれない。


おうちごはんは美味しいし何より安心だ。外食するならば技術料や手に入らない食材を目的に店にいくべきで、それ以外は【作るのが面倒】だからでしかないことがわかった。料理は手間がかかる。すぐできる簡単レシピは味がイマイチな場合も多い。ほぼ毎日食事を作ってくれる嫁さんには感謝。自分の食べたいものを安く美味しく作れるようになったほうが美味しい店探しに躍起になるより楽しい気がする。