コロナで市井の人心が荒んでいるのだろうか

緑道の花壇の花を取る人がいる。前からいたし、これを見るのは初めてではない。

 

高円寺に引っ越してばかりのころ、京都から連れてきた樹齢10年は経っていたと思われる「臥牛」の大株を根こそぎもっていかれた。

植木鉢もいくつか持っていかれた。いくつかはお気に入りの自作だった。

実った南高梅の7割ぐらいを収穫直前にもっていかれた年もある。

錦木が半分抜かれかけて根がむき出しになって放置されていたこともある。

矢車菊、菊、水仙多肉植物あれこれ。

 

気にしすぎないことが一番。取られたら嫌なものは近くに置かなければ良い。

取られても取られても植えたら良い。そう割り切っていこうと思っていた。

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しかし今年はとりわけ目に付くような気がする。

まだ蕾が十分に育っていないものをちぎってしまっている。

引っこ抜いてそこらへんに捨てていたりもする。

どうやら切り花として自分の家で楽しむ為に持っていくのではなく、むしゃくしゃして八つ当たりしているよう。

 

花が持っていかれても、家に飾りたい花愛好家がいたのだろうと想像すれば、まあそれも多少はありかなと思う。しかし誰もが目にして楽しめる花を単に棄損してやろうというのであればかなり荒んでいるように思う。 

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鬱憤の捌け口がなくなっている人が増えているのではなかろうか。

花をちぎる人を実際に数人ほど見かけてしまったのだが皆60-70代の女性だった。偏見を煽る意図はないのだが、退職していたり子供も巣立っているなどして孤立化して閉塞しやすい傾向は他の年代よりも強いのかもしれない。男性だと酒やギャンブルに走ったりするのだろうか。発露の仕方はひとそれぞれで、知らない子供や猫に八つ当たりするぐらいなら花をむしって発散して自分を収められるならそれも良しとすべきなのかもしれない。


正直なところ、幸にしてコロナ禍は私にとって伝え聞くだけで未だに目に見えない妖のようなもの。親戚や友人にコロナに感染した人はいないし、コロナが原因で倒産しただとか仕事を失った人もいない。未だに伝聞で知識として入ってくる事象でしかなく、周囲の飲食店が営業時間制限を受けていたり在宅勤務制度になるなどして実感の湧かないコロナの存在を感じている次第。そんな中、むしられて捨てられる花にコロナ禍の存在を感じた。

 

コロナ禍は社交性を否定し人間関係を希薄化させ、人間が社会的生き物なのだということを自覚させられる。私もいいかげん、気兼ねなくぎゅうぎゅうの飲み屋で知らない隣の人と雑談したり、友人知人とウェイウェイ盛り上がったりしたい。