第二次世界大戦で絶滅収容所に送られるも生き延びたユダヤ人心理学者ヴィクトル・E・フランクルの体験記。
特徴としてはその他多くの収容所体験の回顧録と違い、収容所送りにされた時、収容所生活、終戦に伴う開放時の自分自身や周囲の人の心理分析や考察を心理学者としてまとめていると言う点。
愛する人を思い浮かべることが絶望の中の支えであったそうだ。悲劇的にも愛する人が既に生存していなくとも、その場に居合わせなくとも、愛する人との記憶が糧となるのだそうだ。子供であっても、妻や夫であっても、同性のパートナーであっても構わないようだ。愛が人生における幸せの一つの答えであるようだ。
スープとは呼べないようなシャバシャバなお湯もどきと小さなパンの欠片で生をつないでいるような過酷な状況でも夕陽の美しさを一目見るためにベッドから動かない体で這い出すことがあるのだという。監視からの暴力や仲間の死に何も感じなくなっても、自然の光景に美しいと思う心は残るのだそうだ。
人はありとあらゆることに慣れるのだという。
そしてどのような環境であれ、どう振る舞うかは自分で決められる。どの環境にも善人として振る舞える人もいれば、そうでない人もいる。
開放された日、多くの人がその幸せを実感できず喜びの感情が湧かなかったそうだ。幾度となく繰り返された失望に現実を信じられなくなるのだと言う。
また、潜水病と同じように過度な暴力とストレスに晒された長い長い時間を過ごした後にあれほど願っていた自由と個人の尊厳が尊重される正常な環境に放り込まれると心身の健康を壊す人が出たらしい。未成熟な人間が今や解放された者として、今度は自分が力と自由のままに、とことんためらいもなく暴力を行使していいのだと履き違えることがしばしば観察されたらしい。暴力を受ける側だったのが解放後に自分が暴力を振るう側に回ってしまうのだそうだ。
「苦悩という情動は、それについて明晰判明に表象したとたん、苦悩であることをやめる」これはわかるような気がする。メタに客観視できるか否か。
苦しむことはなにかをなしとげること。
人生に意味を探し求めるのではなく、人生が自分に何を期待しているのかというコペルニクス的転回で考えることが有意義なのだそうだ。
「生きていることにもう何にも期待が持てない」状況において人生や辛苦に意味を見出すのは困難だが、何が自分を待っているかを考えるのは一つのヒントとなる。目に入れても痛くないほど愛している子供。研究者のまだ完結していない仕事。子供にとって、残された研究にとっての自分自身のかえがえのなさがひとりひとりの人間を特徴づけ、ひとつひとつの存在に一回性と唯一性の意味を与える。自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。
過酷な状況における生きる糧を「希望」と呼んでしっくりこない場合には「責任感」と置き換えても良いのかもしれない。
心に引っかかった点をいくつか書き残してみた。極限まで突き詰めると人生に重要なこととして浮かび上がるのは「愛する人」と「芸術」と「自分を待っている何かをつくること」だと言っているように感じた。