自分は正直に言って根性が足らない。7年前に転職する際には理不尽耐性をつけるために高尾山に滝行に行った。痛いほど水は冷たくてなぜわざわざ水を被ってから修行場の掃除をして、滝壺で震えながら順番を待ち、痛い水圧の滝に打たれるのか。少しばかり理不尽耐性は付いたかもしれない。そのおかげで7年間をなんとか過ごせたのだと思おう。
7年の老化を経てまた転職するにあたり、今まで登っていたキャリアの山を完全に下山して全く異なる山を麓から登り始めるようなものなので一層の根性と覚悟が必要と思われる。そこで素人ながら八ヶ岳に登ってみることにした。
山の記録は登山慣れした人の記録ばかりであてにならない。
BMI23、体脂肪率22%の少し肥満気味で腹の周りにうっすら浮き輪がついた中肉中背筋肉不足の中年男性。登山経験殆どなし。
果たしてそんな人間が出発点標高1800mから標高2640mの八ヶ岳の一峰、西天狗岳を周遊する標準コースタイム5時間40分(休憩時間を除く)に挑んだらどうなるのか。
こうして見るとかなり険しく見える。6時間弱の道中で音を上げても途中リタイアはできない。
荷物は8kg程度。
山頂で珈琲を飲んだりカップラーメンを食べるためにガスボンベや鍋などを持参する。
合羽、救急キット、ヘッドランプ、充電バッテリー、コンパス、地図、寒い場合のインナーなど。水は500mlを3本。
どうやら午前中の天気は良さそうなので5時半ぐらいに出発して天狗岳西尾根まで110分、西天狗岳まで60分、東天狗までの15分のおよそ3時間のコースを踏破し、さらに55分降りた黒百合平で昼ご飯にできたら黒百合平から唐沢鉱泉までの100分は雨に多少濡れようがのんびり帰って来れば良くなる。
モデルコース6時間弱のコースを8時間で見ておけば体力が持たなくて休憩をたくさん必要としてもなんとか戻ってこられそうだ。
5時20分に宿を出発。気温は20℃ないぐらいか。
20分歩いただけで汗が噴き出して息が切れてくる。モンベルのライトシェルを脱いでTシャツに手袋の格好へ変更。
白樺林の緩やかな傾斜をひたすら登っていく。歩くたびに鳴る熊除けの鈴が巡礼者のそれのよう。
所要時間60分と書かれた距離を38分で着いた。オーバーペースなのだろうか。ここで10分ほど休憩することにした。
再度、西尾根第一展望台に向けて出発。
木の根が張り巡らされる山道を歩く。小さく小さく歩幅を刻むよう心掛ける。
所要時間50分の距離の西尾根第一展望台、標高2416mに30分で着いてしまった。前方に見えるのは中岳、阿弥陀岳だと思われる。眺望が良いのでここでお弁当にしてもらった宿の朝食を食べることにした。
なかなかご飯の量が多い弁当だった。力が漲る気がする。20分ほど朝食休憩をとり出発。
登山道に鹿の足跡が残る。鹿にとっても歩きやすい道なのだろう。
切り取って持ち帰りたい苔のこんもり具合。
森林限界が近づいてきた雰囲気。
所要時間30分の距離を30分ちょうどかけて到着した。第二展望台はさほど眺望は変わらない気がする。
ここまで登ってきたのに一旦、降りて行かないといけない。
降りる途中でその後に登らないといけない西天狗岳の壁が見えてくる。聳り立つようなあの岩肌を登らないといけないのか。大丈夫だろうか。遠目にもなかなかの急斜面に見える。
17分ほど下り、西天狗岳に登る急な岩場の足元へついて見上げる。写真を見返すと見上げるような急斜面が平坦に写ってしまって怨めしくなる。少なくとも私が人生で登ってきた中で一番の急斜面岩場だと思う。
ここからの道程が厳しかった。完全な岩場で常に両手を突きながらよじ登る状態。一つ一つの岩も大きい。
3点確保、3点確保と心の中で繰り返す。両手と片足が岩肌に接していたら残りの足で浮石を踏んでしまっても滑って転ばない。コースは分かりやすく◯でマーキングされていて迷わずに済んだ。まだ地形を読んでコースを選ぶ技量は無い。
途中で見下ろすと第二展望台は遥か下方。風が強かったら怖いかもしれない。
ようやく山頂に着いたと思いきや、少しばかりの踊り場があってまた壁のような急斜面が聳えていたりする。それでも岩肌急斜面を登り始める前はとんでもなく困難に思えたが、一つ一つの岩によじ登ることの積み重ねで登れてしまうものだ。
2640mの西天狗岳山頂に到着。所要時間30分の区間を38分かかった。
雄大な八ヶ岳連峰の眺め。小さく尾根筋に山小屋があるのが見える。根石岳山荘だそうだ。風の通り道のような稜線上にあるにもかかわらず風呂もあり、カツ煮やらプリンやらホットワインやらメニューも充実しているそうだ。眺めも最高らしい。いつかこういう山荘に泊まってみたい。
西天狗岳と東天狗岳はお互いに近く、西天狗岳のほうが40mほど高い。しかしあちらの方が眺めが良さそうに思えたので西天狗岳では10分の休憩に留めて出発。
瓦礫の斜面を下っていく。小さな石を踏んでしまうと転がるので少し怖い。
途中からは雪原の急斜面だった。他の登山者の足跡を慎重にトレースして降りていくが軽く滑る。
西天狗と東天狗の間の稜線の最も低い箇所から東天狗岳を見上げる。西天狗岳を登る際の急斜面の岩肌に比べたら手をつかずに歩いて登れる緩やかさ。
東天狗岳から西天狗岳を振り返ったところ。西天狗岳の左側の小さな雪原が降りてきたルートなのだがこうして遠目に見るとかなりの斜面だ。
8:36、所用時間15分とされるところを18分かかって東天狗岳山頂に到着。雪がなければもっと早く降りられるのかもしれない。
茅野駅で買った上等そうな「蓼科の風」ブレンドのインスタント珈琲を淹れる。イワタニミニバーナーに自宅で鍋料理をする際に使うのと同じカセットコンロを装着して湯を沸かす。気圧が低いとガスバーナーの調子が出ないかと思ったが全く問題なくすぐに沸いた。
遠くに八ヶ岳の最高峰赤岳を望みながら山頂珈琲にシャインマスカット大福。すこぶる気分が良い。
大福は腹持ちの良い行動食だと猟師が教えてくれたので複数個持ってきている。
圧倒されるような岩肌も一つ一つ登っていけばいつの間にか山頂に着くものだ。小さなタスクに分解して辛抱強くコツコツとこなしていくべし、ということか。
早朝に出発したこともあって9時前に西天狗岳、東天狗岳に登頂してしまった。早く下山して時間が余っても勿体無いので東天狗岳山頂に50分もゆっくりとした。雄大な景色を前に10分ほど座禅をしてみた。
ところでエベレストに登頂を果たしても山頂に留まれるのはせいぜい10〜15分だとか。後続の為に場所を空けなければならないし、日没までに下山するとなると時間の余裕はあまりないそうだ。その短い10〜15分で記念写真を撮ったり仲間と言葉を交わしたりしているとあっという間だろう。
大金を掛けて、困難を乗り越えてエベレストに登頂を果たしたのだから感動しなきゃ。常ならざらん何かを感じなきゃ。そう思ってしまいそうだ。もちろん、無理やり感動しようと思って感動できるものではない。なんだか忙しなさの中で登頂して感慨にふける間もなく降りる羽目になりそうな気がする。自分の人生にエベレスト登山は不要かな、などと初心者の分際で思った。
景色は良かったし山頂で頂く珈琲と大福は格別だ。しかし登頂の達成感のようなものはなく、「ああ、ここが山頂か」といった程度だった。自分でも6時間弱の2600mは十分に単独で登れるし楽しめると確かめられたのが一番の収穫だ。
ガスが出始めたので下山を始めた。視界がもっと悪くなると怖いかもしれない。次の道標が見えないぐらい霧に包まれるとパニックになりそうだ。
幸いそこそこ風もあってしばらくして雲は去ってくれた。時折振り返ると、降りてきた高低差に驚く。
尾根に出たのだろう。ほぼ水平だが大きな岩の上を歩かないといけない。気をつけないと足首を捻挫しそう。
さらに降ると澄んだ池があった。
そうこうして黒百合ヒュッテが見えて来る。
最後にこの雪の斜面を降りないといけない。
下から見上げると雪庇のようになっている箇所もある。雪は硬く転んだらひたすら滑落しそうだ。
所要時間60分の距離を55分ほどで黒百合ヒュッテに到着。なかなか設備の立派な山荘のようだ。
仲間と泊まってワイワイ語るのも楽しいのだろう。登山仲間がいないので探そうか。おそらくこれまで会ってきた人の中で山好きはいたのだろうが知らずに来たのだろう。
黒百合ヒュッテの外にはテントサイトもある。プラスチックのパレットの上にテントを張ることで地冷えを軽減できるそうだが、昨晩泊まった人は風も強く死ぬほど寒かったと嘆いていた。
メニューが豊富。ビーフシチューセット1600円が美味しいらしい。これだけの食材はやはり担いで持って来るのだろうか。そう考えると高いとは思わない。ありがたいことだ。
30分ばかりベンチに座ってぼんやりしたが、まだ10:50とあってお腹が減らないのでトイレ休憩に留めて出発することにした。リュックの中のペットボトル1Lもカップラーメンも手付かずのままだ。
金網の通路があったり
板の通路があったり
苔むした沢を歩いたり
しかしその後の40分ばかりの道程に難儀した。山頂で殆ど見なかった雪がかなり残っていて氷だか雪だかわからないような上を延々と歩がなければならなかった。
急に雪を踏み抜いて脛あたりまで埋まったり、実は凍っていて滑って尻餅をつきそうになったり。転んだ下に尖った枝でもあれば大怪我してしまう。神経を使う楽しくない道だった。
所要時間50分の距離を48分かかって渋の湯、黒百合ヒュッテ、唐沢鉱泉の分岐点へ。
そこからも多少の雪道はあったのだがやがて私好みの苔むした森に突入。ご褒美が待っていた。
何苔だろう。手をつくと5センチくらいめり込むほどフワフワとしている。
左右に白樺と林床が苔に覆われた森を進んでいく。
杉苔も驚くほど瑞々しく元気が良い。
帰宅後に苔の種類を調べねば。
倒木も切株もすっかり苔に覆われている。
どこまでも続く苔の絨毯。
写真を撮る手がなかなか止まらなかった。
これだけの苔の森は頭の中に思い浮かばない。
そんな苔世界の真ん中に木のベンチがあるのが小粋。ここでお湯を沸かして珈琲を入れて甘いものを食べて1時間ぐらい作陶のアイデアを膨らませたり小説を読んだりなんかも最高な時間かもしれない。
12:32 唐沢鉱泉に到着。
ありがたいのが宿泊者はチェックアウト後にも関わらず無料で温泉に入浴できること。汗を流し、温泉の中で脚を揉んですっきりとできた。
唐沢鉱泉で牛丼を頼んだらサービスで大盛りにしてくださった。
13時半頃から雨が降り始めた。雨で濡れた氷雪の上や濡れた岩根の上を歩くのはかなり神経を使う。早朝に出発して黒百合ヒュッテでも昼食を取らずに早めに下山するのが大正解だった。
15:00までのんびり、ぼんやりとしてその後、宿に茅野駅まで無料で送迎して頂いた。
5:22 唐沢鉱泉
6:00 枯尾、西天狗、唐沢鉱泉の三分岐
6:10 分岐出発
6:40 第一展望着 朝食休憩20分
7:00 第一展望台出発
7:30 第二展望台到着、すぐ出発
7:47 西天狗岳岩場下
8:08 西天狗岳山頂 10分休憩
8:18 西天狗岳出発
8:36 東天狗岳山頂 50分休憩
9:26 東天狗岳山頂
10:21 黒百合平到着 29分休憩
10:50 黒百合平出発
11:38 渋の湯入口、唐沢鉱泉分岐
12:32 唐沢鉱泉着
合計2時間休憩。登山時間5時間10分。
学び
- 天狗岳周遊登山は険しい岩登り、広い眺望、黒百合ヒュッテ、苔の森など変化に富んで魅力的なコース。初心者に優しい。
- 困難に見えても小さなタスクに分割してこなしていけば達成できる
- 登り始め30分がきつい。慣れればさほどでもないのはジョギングと一緒か。
- 息の切れないペースの方がおそらく体力が長持ちする
- 5時間超の山登りは体力的には余裕。下山しても余力あり。
- 標準コースタイムコースはかなり緩めに設定されているっぽい。夏の好環境ならば余裕。
- 悪天候や4月以前の雪の残る登山は難易度が別物。
- 山の上の眺望のある山荘に泊まるのも魅力的かもしれない。
- 西天狗岳から根石岳山荘に往復して昼食を食べにいくのもありかもしれない。
装備の学び
- 手袋は必須。気軽に手をつけて登ったり降りたりできることが安全につながる。
- 行動食が過剰だった。カップラーメンもアーモンドチョコも珈琲チョコも手付かずで終わった。
- 水1500mlも過剰。実際飲んだのは700ml程度。
- 転んだ時を想定すると長袖Tシャツを着るべきだと思う。
- 写真を撮るのが好きなので胸元にスマホを収納して手軽に出し入れできると便利。付属品を買おう。
- 残雪があるならばレッグカバーをつけるべき。氷が靴の中に入って溶けて不快。
- 30Lのリュックは背中が密着せずに通気性が高いものが日本での登山に良いだろうとDeuterの2気室のものにした。腰の締まりも安定感も良く背中の通気性も良い。買って良かった一品。強いて不足を挙げるならば腰の収納は出し入れしにくいのでやはり胸元にスマホ入れが欲しいところ。
ちなみに花飾りは付いていなかった。