一人で好きにどこにでも出かけて良いとのことで、下諏訪のゲストハウスを拠点に下諏訪と上諏訪を散策することにした。テーマはゲストハウス+日本酒蔵めぐり+銭湯巡り+寺社巡りという子供が飽きることを満喫しようかと思う。
学び
- 無価値に見えて興味がなかったものが知識を得ることで興味深いものとして楽しめるようになる。
- 日本中を興味のままに旅して思う存分に楽しんでいる人たちがいることを再認識。
- 子供を育て終わって定年を迎えるまで我慢したら勿体ない。今だからこその若さと感受性と行動力で物事を堪能すべき。
- 仕事は仕事ともっと割り切ったほうが良い仕事ができるのかもしれない。
9:30〜10:00の会議が避けられなさそうだったのでPCを持参して6時半に家を出て「あずさ1号」で9時過ぎに上諏訪に辿り着き、そこからリモートで会議に出ることにした。お邪魔したのはambird。
連休に挟まれた合間の平日朝ということもあってか客は私だけだった。WiFiもあり、美味しい珈琲を飲みながら会議に出る。私が長野の上諏訪にいることは他の参加者にも上司にも一切匂わせていない。
会議を終え、資料を送り、不在通知を設定してPCを閉じる。よほどのことでもなければもう開くつもりはない。PCは有給休暇中でも心置きなく楽しめるようにする為の2kgの安心お守りのようなものだ。
上諏訪駅まで戻り下諏訪駅方面の電車を待つが1時間に1本しか運行されない。あと20分ほど待つことになったがなんとプラットホーム沿いに足湯がある。温泉卵も作れる。恐るべし長野。足湯で寛げられれば冬だろうと20分やそこら待つのは全く苦ならないだろう。
下諏訪で降車してゲストハウスへ。荷物をおろしてタオルや御朱印帳だけを巾着袋に入れて借りた自転車で出発する。半日でレンタサイクル250円は安い。
まずは下諏訪大社秋宮へ。
参拝を終えて糖分補給に老舗和菓子屋「新鶴本店」へ立ち寄る。
170円の餅を頬張る。新しくも特異でもない味で馴染みのある丁寧に作られた知ったるこしあんの餅。
「今昔館おいでや」で数々の時計の機構の進歩の歴史を見る。
中庭にはおよそ900年前に中国北宋で作られたという水運儀象台という世界初の天文時計の完全再現が見られる。
その当時にあって24時間で2分の誤差というとんでもない代物だったそうだ。
しかし完成から30年足らずで北戎が南侵してこれを破壊し奪い去ってしまったのだという。その価値を理解することも手入れして運用することもできなかっただろう。
そんな話を製作指揮者である蘇頌のからくり人形が説明してくれる。500年後にヨーロッパで作られた機械時計と比べても精度で負けなかったと聞くと中国がかつては超絶科学先進国だったことを改めて感じるし、今後はあらゆる分野で中国が最先端を切り開いていく世の中になっても驚かない。EC、ドローン、AI、クローン技術。清王朝から文化大革命後までの暗黒期が長かっただけだ。
同じ「今昔館おいでや」という施設には考古学館のようなものもある。
子供達がマインクラフトに夢中になっていてマグマに水を掛けることで黒曜石を作出したりしている。そんなものを最近見せられていたこともあって下諏訪の星ケ塔遺跡の展示も興味深く見た。ここ下諏訪の星ケ塔遺跡は石器時代から縄文時代にかけての黒曜石の一大産地で半径500km四方に星ケ塔産の黒曜石が流通し最も遠くには青森県の北端の三内丸山遺跡からも出土しているという。石器時代から縄文時代において黒曜石産出地として諏訪が特別な存在だったことを知り、世界的な大断層である日本の中央構造帯と糸魚川静岡構造帯という巨大断層が交差する稀有な地であることをブラタモリで知り、そしてさらに日本諏訪大社が日本最古クラスの神社であることを諏訪大社の説明で知った。それらが重なることに何か不思議な関連性を感じて興奮を覚える。
マグマが急冷されると黒曜石、ゆっくり冷えると流紋岩になる。そうか、マインクラフトは正しかったのか。
縄文時代の交易路や遺跡なんていかにもジジ臭い興味関心だと思っていた。それが今では説明文を読んで昔をあれこれ想像するぐらいに楽しめるようになった。
昔ならば全く興味無く早足で通り過ぎていた縄文土器のような展示も私自身が陶芸をするようになったからか楽しめるようになった。
歳を取ることで古代の交易路や縄文土器の展示を楽しめるようになるとは思わなかった。
同じものを見ても基礎的な知識があることで楽しめるようになると実感。無知だと目の前のものが無価値にしか映らないことを体感できた。年を重ねて知識を積んでいくことを好意的に感じられる。
裏手には前方後円墳があった。こちらは円墳の部分で石室が露になって見える。有力氏族がいたことを示し、下諏訪大社の祭祀氏族金刺一族ゆかりではないかと言われているそうだ。
そこから自転車で急峻な坂道を毒沢鉱泉まで登り、誰も他に客のいない中で満喫した。
諏訪湖を眺めながら一気に坂道を下って万治の石仏を拝む。石仏を3回時計回りに回って無病息災を願うのだそうだ。
岡本太郎筆の石碑もあったが、そういえば岡本太郎といえば縄文美術。たびたびこの地を訪れていたのだろうね。
下諏訪大社春宮は四社の中で最もこじんまりとしていたが、素晴らしい古木が境内にあった。
そして下諏訪の酒蔵、御湖鶴へ。酒米を全量契約農家から調達することで酒米の品質を安定させ、0.1℃単位で温度管理をし、瓶燗殺菌でお湯で殺菌火入れして即座に水で冷やして栓をすることに拘った全量純米酒造りに拘った酒蔵だそうだ。
しかし緊急事態宣言下で酒蔵見学も試飲もできないそうで蔵を訪れた甲斐がなかった。残念。
純米辛口の1合缶を買って帰った。
時間が余ったので今井邦子文学館にも足を運ぶ。
左が邦子、右が弟だそうだ。やたら美男美女な姉弟。親に強いられた結婚から逃げて家出して新聞記者となったり、新聞記者と結婚するも後に夫の浮気を知って二児を置いて10ヶ月近く家出して京都の寺で修行したり、激しく生きた人らしい。
アララギ派の歌人として長らく島木荒彦に師事し、やがて独立して女性だけの歌集「明日香」を創刊する傍ら万葉集など古典の研究も多いらしい。
そういえば私の泊まるゲストハウスの部屋の名前はアララギの間だ。
宿場街資料館にも立ち寄る。
江戸時代においては夏以外はここ日本のヘソとも言われる内陸地でも常に生のマグロが食べられていたということに驚かされた。
旅籠の集客競争も厳しく、自分の宿に泊まることと引き換えにある程度の街道の手前から荷物を持ち運んだり、客引きが女性の性的なサービスを売りにしたり。なんとなく情景の想像がつく。
目まぐるしく動き回った1日の汗を流しに菅野温泉へ。ゲストハウスではシャンプーやボディソープの入った籠を無料貸し出ししてくれていて、気軽に徒歩数分の銭湯に行ける。銭湯も眺望はない湯船だけの簡素なものだが240円と安価。なにせ温泉だし。高円寺だと沸かした水道水の銭湯に480円払わねばならない。価格差は湧出温度が高く燃料費がかからないことが大きいと思われる。
晩御飯には難儀した。美味しいと評判の「とんかつ丸一」は昼は営業していたのに唐突に臨時休業。鰻屋の「うな富」で豪勢に鰻でも食べるかと思ったら予約満席と断られる。「本田食堂」は前日予約が無いとそもそもダメだという。宿の人は下諏訪も飲食店がかなり増えてきたというけれどもオススメされて行くところが悉く入店できないとは。仕方なくオススメに浮上してこなかったガレット屋で食べた。オイルがたくさんかかった分厚いガレットをシードルで流し込むが重たい。その間、厨房からマスターの客や知人への悪態が漏れ聞こえてくる。ううむ。晩御飯はハズレた。
夜はゲストハウスでビールを呑みながら寛いだ。旅好きな人達が集まっていてどこが良かったとゲストハウスや観光地、温泉の情報交換が盛んに行われていた。
旅が好きな人はあちこち転居している人も多く、私は出身は広島なんですよ、ああ私も数年名古屋に住んでました、京都に住んでましたなどとどこかしらで接点が見つかる。なんだか人生を謳歌している人が多い印象。旅好きな人達からは日本国内の良いモノを味わい尽くそう、人生を楽しもうという姿勢を感じる。
一人旅の魅力は自分の興味の赴くままに自分のペースで臨機応変に動き回れること。総じて私はハイペースで動き回るが気に入ったところでは1時間以上長居したり、ただ呆けて座ったりとムラがある。そしてクタクタになりなからも刺激をたくさん受けてよくわからない活力を得て寝床に入る。
旅程備忘