秘湯を目指して那須茶臼岳を登る

転職後数ヶ月で仕事を辞めるという醜態を晒し、1人で心を癒すとなると山へ行くしかない。

「恥の多い生涯を送ってきました」という太宰治の「人間失格」の書き出しを思い出すけれども、そこまで酷い恥まみれでもないし「後悔の多い生涯」よりはましなのだと思う。

 

前日の夜に天気予報を各サイトでチェックし、せいぜい俄雨しか降らなそうなことを確認して那須の山奥の温泉宿を予約した。以前から時間に余裕があれば行ってみたいと思っていたロープウェイ山頂駅から2時間以上登山しないと辿り着けないという山上の秘湯宿「三斗小屋温泉 大黒屋」。そこに行くべき時が来たと思えた。

 

それにしても見る天気予報サイトごとに予報がバラバラなのはどうしたものか。

 

東京駅で秋の駅弁フェアという素敵な催しがあったので新幹線の道中、鮭イクラ弁当を頬張る。

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那須塩原駅から那須ロープウェイまでバスに乗る。1時間15分の道中、バス内に無料WiFiがあるのは地味に嬉しい。

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登りは楽して那須ロープウェイを使うことにした。たった4分の乗車時間で片道1200円。汗を流して登るべきだったか。
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台風が過ぎた後は秋晴れの登山日和。遥か遠く遠くまで見渡せる。
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茶臼岳は那須連峰の主峰、百名山にして今も活動を続ける活火山だそうだ。火砕流が最後に発生したのは1万6千年前で今のところ噴煙を上げるだけらしい。
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ロープウェイ山頂駅から50分ほどで茶臼岳に登れてしまう。随分と手軽に登れてこの眺めを楽しめるのだから子連れにも良さそうだ。
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険しい砂礫と剥き出しの岩肌の山容もあれば緑に覆われた柔和な山容も楽しめる。
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綿を違ったような薄くたなびく雲が風の動きを視覚的に感じさせてくれ、寒くもなく実に気持ちが良い。

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天空の鳥居、岩の上に佇む二人。絵になる光景だ。
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那須の霊山信仰の対象だったそうで那須本湯などの那須八湯は霊山参拝の拠点として栄えた側面もあるそうな。
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こちらが火口。荒涼とした不毛の地。窪みに降りると硫化ガスが溜まっていたりするので危険らしい。
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とても興味深かったのがこの一面が平らな大きな岩なのだが、無数に割れて不思議な模様を描いている。こんな岩があちらこちらにある。
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割れ目が直線的ではなく曲線的でどのように生成されたのか想像がつかない。調べると割れ目に水が入り、水が氷結膨張することを繰り返した結果なのだという。だとしてもなぜ直線ではなく曲線的になるのだろうか。
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茶臼岳を降っていき向かいの朝日岳へとつながる鞍、あるいはコルと呼ばれる稜線に赤い避難小屋がある。かつてはあちこちに茶屋があったらしい。
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そこまで降りていき、さらに三斗小屋温泉温泉を目指す。
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途中、なかなかな斜面をトラバース。
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さらに降っていくともう一つ避難小屋があった。見上げると降りてきた瓦礫の斜面が上方に見える。
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ロープウェイ山頂駅から歩くこと2時間で三斗小屋温泉に着いた。山麓から茶臼岳に登ると同じ道を鞍部の避難小屋から往復しないといけなくなるので行きはロープウェイに乗るのが都合が良いかもしれない。

 

2時間山道を登り降りしないと辿り着けない秘境温泉宿として知られる三斗小屋温泉だがかつては名の知られた湯治場で会津への街道でもあり、那須本湯からお金さえ払えれば籠に乗って来ることも出来たらしい。裕福な武家や商家の奥方などが籠を使ったのだろうか。

 

戊辰戦争の激戦地にもなり5軒あった温泉宿は全て焼失し現在は2軒が再建され営業している。秘境ではなく人気の街道沿いの休憩地点だったようだ。