マンゴーと初めて会った14年前の日の写真が出てきた。ブリーダーさんの家で撮影したものだ。どちらがマンゴーか分からん。兄弟はどこで生きているのか、まだ生きているのか。
私のフィリピン駐在に妻が仕事を辞めてついてきてくれた。結婚した。しかし私はフィリピンを拠点にしながらも毎月海外出張で家を空ける生活だったので妻が寂しさを紛らわせるために迎え入れたのがマンゴーだった。
家父長制でも亭主関白でもないし、妻の家庭内の地位は高いのだろうけれども、我が家という群れの首領は私だとマンゴー殿の基準では認定されたらしかった。私が2階にいれば2階に、1階に行けば1階に常についてきた。
最期の夜、最期の相方との晩酌。よくわからない祭壇のようになった。
自宅にあるもので最も良いものを掻き集める。薄暗くエアコン20℃の寒い部屋の中で、見つめながら、偲びながら飲む。
なんだか、そちらから降りてこちらの膝に乗ってきそうな気がする。寒いのが苦手な犬だった。
シシャモにポテトサラダ、貴腐ワイン用葡萄を干した干葡萄。
先輩から貰った黒江戸切子のグラス、日本酒は鳳凰美田の黒鳳凰。
マンゴーが好きだった梨。これは私が一番好きな果物だからよく買って少しばかりお裾分けしていたから。立派なあきづきの玉。そしてマンゴー。フィリピンマンゴーはペリカンマンゴーとも呼ばれ黄色い少し勾玉のような形をしているのだが近くのスーパーで売っていなかったのでメキシコのマンゴーで我慢してもらおう。朝、一緒に火葬してもらおう。
亡くなってから3日目でも鼻先は瑞々しく濡れ、いつ目を覚ますのかわからない生前との変わらなさ。死んでるとは思えないのだよ。
私の直近の人生の1/3はマンゴーが常にいたので、それ以前の生活がもう思い出せない。
火葬車に来てもらい、焼いてもらった。800℃なので陶芸の素焼きぐらいの温度だ。それで肉は全て焼き消え骨だけが残る。
生前好きだった食べ物や玩具を一緒に焼いてくれるというので、マンゴー、あきづき梨、鶏ブイヨンで低温調理した鶏胸肉、ささみジャーキーを焼いてもらった。まるで手の込んだ肉料理レシピのようだ。ある瞬間には甘く柔らかい肉に焼けてたに違いない。
こんなに細い骨でできていたのか。この骨で鴨川の河川敷を自転車の横を伴走し、比叡山の山奥を駆けたのか。九条山、日の出峠へよく散歩に行った。骨付き鶏腿肉を一緒に焼かなくて良かった。混ざって分からなくなるところだった。
儚い。いなくなって感じる空虚感だけ、心の中を相棒が占めていたということなのだろう。
フィリピンの貝細工の箱にいくつかの腰椎と歯を収めた。分骨したくなる気持ちというのもわかる。これだけ骨の数があるならば偲び慕う人達に分け与えようと思った昔の人達の気持ちは至極自然なことに思う。
朝になると散歩に行かなきゃと無意識に思ってしまう。まだ慣れない。良い犬だった。一緒に過ごせた犬がマンゴーだったことは光栄で幸せなことだった。
新しい命との出会いに溢れていた30代。これからの40代、50代は別れが増えていくのか。マンゴーとの別れはその先触れなのか。自分の人生は正午を過ぎて陽が傾くフェーズに入りつつある。