唐人お吉と下田

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踊り子号に乗る前に時間があったので下田のペリーロードを散策した。あの黒船で江戸幕府に改革を迫ったペリー提督がついに下田と函館を開港させることに合意した日米和親条約
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追ってその日米和親条約の細則を定めた下田条約を調印したのがこの了仙寺だという。間違いそうだが日米和親条約を下田で調印したわけではない。
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初代駐日米国公使タウンゼント・ハリスはかつて父と兄が営む貧しい陶磁器の輸入業を手伝っていたらしい。その後、輸入貿易船を手に入れて上海に渡っていたハリスはペリー率いるアメリ東インド艦隊に乗船を願い出て日本に渡ろうとするも軍人ではない為断られている。

しかし諦めずに「ハリスは国務長官など政界人の縁を頼って政府に運動し、1854年3月、台湾に関するレポート「台湾事情申言書」を提出。4月には寧波の領事に任命される。アメリカへ帰国したハリスは、同年に日本とアメリカとの間で調印された日米和親条約の11条に記された駐在領事への就任を望み、政界人の推薦状を得るなどして、1855年に大統領フランクリン・ピアースから初代駐日領事に任命される」
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貿易商だったハリスは日米の政治にみるみる食い込んでいく。ハリスは非常に野心的な政商だったのではないか。こんなエピソードがある。

「1856年(安政3年)に下田御用所において日本貨幣とアメリカ貨幣との交換比率について幕府側と交渉を行った際、ハリスは金貨も銀貨も「同質同量の原則」すなわち、1ドル銀貨(英語版)は同じ質量に相当する一分銀3枚と交換すべきと主張し、一方幕府側は1ドル銀貨の地金価値は双替方式により銀16匁に相当するから一分銀1枚であると主張し対立した。最終的にハリスの主張が通され、日本で1ドル銀貨を一分銀3枚に両替しそれを金小判に両替した後に持ち出し海外で売りさばくと暴利が得られることとなり、短期間のうちに多額に上る小判が日本国外へ流失した。その過程でハリス自身も小判を買い漁り、それを上海などで売却して利鞘を稼ぎ、私腹を肥した。」うまく付け込んで私腹を肥やしたハリス。平和的な日米の国交実現を希求しただなどとは思わない。歴史的な変化の立役者となり地位と名誉と富を得ようと頑張った人なのだろう。
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「唐人お吉」はそんなハリスが下田領事館時代に体調がすぐれないため、ハリスが要請した看護婦として幕府側に選ばれた女性だ。ハリスに献身的に仕えた美しい元芸者で、異国人と交わったと激しい偏見を浴び、その後は大工に嫁いだり下田に戻って小料理屋を開くなど転々としたが酒浸りで身を崩し最後は物乞いに身をやつし入水自殺している悲劇のヒロインとされる。しかし「唐人お吉」の作り話と違い実際には芸者ではなく下田に寄港する船を相手にした洗濯女で、しかも実際には3日間仕えただけで腫物があった為に解任されているそうだ。幕府が女性を使って籠絡しようとする意図にハリスは激怒したとも言われるから「お吉」は容姿の優れた魅力的な女性だったかもしれない。
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お吉にはハリスの看護を受けるにあたり支度金25両、年手当120両が報酬として、渡される約束となったそうだ。(当時の大工の手間賃が1ヶ月で約2両程度だったといわれる。)大工の手間賃が月給40万円としたら支度金だけで500万円近くもらったようなイメージか。そこらへんもその後、お吉が下田の人々の嘲笑や差別を受けた嫉みの理由かもしれない。国のためなどではなくお金のためではないのかと。
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観光地の看板に描かれるヒロイン「お吉」の美人写真も偽りであるらしい。通称「お吉」の肖像写真は「横浜写真と呼ばれる明治十年代以降、日下部金兵衛に代表される日本の写真家や、ファルサーリら海外の写真家が、横浜を舞台に撮った白黒写真に絵具で色付けしたカラー写真がある。そのなかに「士官の娘(Officer’s Daughter)」という写真があるのだが、この写真から色付けをとったものが「お吉の写真」として使われているのである」のだそうだ。

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「唐人お吉」ではハリスに捨てられ、その後不遇の短い人生を送ったとされるがお吉に対する加害者は下田の人々であってハリスではない。お吉とハリスはたった3日間しか接点がないし野心的なハリスは目もくれなかったのが実態のようだ。お吉を追い詰め疎外し物乞いになっても誰一人として手を差し伸べず見捨てたのは下田の人々だ。迫害して見捨てたお吉を時を経て美談化して観光の目玉にしている下田。なかなか恐ろしい話だ。

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世の中は虚構まみれかもしれない。いや、青雲の志を持った偉人に歴史が作られたわけではなく、欲や野心を持った人々の群像劇というのが実際のところなのかもしれない。