夏休み折り返し 進捗状況と雑感

 仕事との線引き

どれだけ普段、会社のメール漬けなのかを自覚した。

  • メールの通知設定をオフにすることにした。アジアとヨーロッパの時間帯でメールが送られてくる度にバイブが鳴ると落ち着かない。
  • 私に名指しされたメールにだけ対応することにする。
  • 長期休暇中はたまに懸念事項を片付ける仕事日を設ける方が精神衛生上良い。

 

身体作り

案外、たくさん食べなくてもやっていけるものだな。朝食に豆腐半丁だけとかでも快適に過ごせるものだ。過剰に蓄えた脂肪があるからそもそも、もっと安心すべきところだ。小腹を空かせたままでも、いつでもどこでも食べ物は買える世の中なのに、なぜ、満腹になるまで食べようとしていたのか、速く口の中に掻き込もうとしていたのか。謎の飢餓感。心理的な原因でもあるのか。

簡単に4kg近く体重が減ったのは、自分の骨格に不相応な脂肪を維持するために取り続けていた食事量がなくなり、中肉中背として無理のない本来の体形に収束している最中だからかもしれない。

  • しかしここ最近、体重の低下が止まった。筋トレもジョギングも半端にしかやっていないからだろう。週に2回ほど筋肉痛になるぐらいの運動をしよう。プランクなどをしっかりやろう。相撲スクワットを加えよう。
  • 強負荷運動して体内の糖分を消費してからチートデーの食事をするのが良いらしい。
  • 炭水化物を取る余地の無いほどにタンパク質と好きな野菜を食べることにする。嫁さんに食費予算増強申請を上奏しよう。

 

 家族

  • 釣堀に連れて行く。暑くて延期。
  • 了 子供と工作。ダンボールでプラレールの陸橋やトンネルを作ってあげた。
  • 了 息子に平泳ぎを手ほどきした
  • 了 次男にストライダーを練習させ始めた
  • 了 両実家に行き来する。父方帰省済み。
  • 茅ヶ崎の海の家でご飯。子供達にサザンビーチの賑わいを楽しんでもらう。
  • 了 水上公園、鉄道博物館へ。
  • 了 子供を預けて夫婦だけで食事
  • 了 高円寺阿波踊りを観に行く。
  • 台風で行けなかったキャンプに再挑戦
  • 南伊豆の弓ヶ浜で子供を遊ばせる。浮き輪を買おう。
  • Old dog can learn a trickという慣用句がある。置いた犬でも新しい芸を覚える、はず。鼻上おあずけ、照れ隠し、輪くぐり。→伊豆旅行のために実家に3週間預けてしまったので断念。
  • 家族写真を2018年夏までの分をまとめる。
料理
  • 今週末に鶏胸肉の梅肉紫蘇和え、梨の肉巻き、梨の餃子、梨のチキンを作ってみたい。

 陶芸

  • 作陶。石膏型を完成させたかったが、阿波踊りと被ってしまって教室を休まねばならんらしい。しゃあない。
  • 了 ゴーラム鉢の絵付け完成
  • 了 母への菊練り鉢の釉掛け完成
  • 酒器の制作。せめて削り作業まで終わらせたい。
  • 時間が空いたらオブジェを作りたい。蝉の抜け殻。陶仏。陶犬。

 

雑記1

作陶仲間から聞いた怖い話。知り合いに姉妹でパン屋をしている知人がいるそうだ。商売も軌道に乗り、繁盛していて陶器の皿を作ってくれと依頼を受けていたそうだ。一年前からパン屋のお姉さんの旦那が脱サラして二階の空きテナントを借りてカフェを始めたそうだ。側から見ても仲の良い夫婦で、パン屋とカフェでシナジーも働かせられるし、夫婦の時間も増えて万事が順調かとまわりは思ったらしい。

ところが現実はカフェが全く流行らず、毎月赤字を重ねる一方で夫婦の間でも喧嘩が増え、ついには離婚調停に至ったらしい。旦那が接客業に向いておらず愛想もなかったのか、無謀な拘りや出費で利益が出ない構造だったのか。会社の理屈は自営業には通用しなかったらしい。で、焼かれた特注の陶器はどうなってしまうのか。何が怖いって、パン屋の旦那のような機会があれば自分も飛びついてしまいかねないから。

 

雑記2

今年中に引退して廃業する予定だという創業70年に近い定食屋。娘が2人。孫は次女の娘だけで今年で5歳か6歳になるという。40歳近くで次女に子供ができたという話なので遅めの出産ということか。長女が結婚しているかは不明。店も跡継ぎがいないから閉めるしかないよね、とのこと。言葉を返せば誰かに継いで欲しかった、店を続けて欲しかったのが本音なのだろう。メニューは50年近く変わっていない。スパゲッティを出せだの言われてもそんなのできないよ、と語る。卑下でもなく、同じメニューで商って子供を育て上げ、やってきた自負もにじむ。

価値観は多様化して家業は継がねばならないものでもなくなったし、結婚はデフォルトでもなく、子供を作るのが義務でもない。結婚しない人も増えているし、結婚しても子供を作らないことを選ぶ人も増えている。人それぞれではあるけれども、「店が継がれずに閉じること」、「子供も孫もおらずに老いていくこと」それ自体は楽しいことではやはりない。寂しくならないように折合いを付け、代わりに得られる確かなものを見据えないとしんどくなるのだろうね。既存の典型的な幸せの形とは異なるものを追うならば、田舎よりもしがらみの少ない都会が楽だ。

 

雑記3

誰とは明らかにはしないが、無頼というか豪胆を装っているように感じる人がいる。「俺は馬鹿だからさ」「賢いやつみたいに細けえこと気にしねえんだよ」「俺は自分に正直に言いたいことは言うんだ。裏表なく」。派手にギャンブルでスッた自慢だとか、不養生自慢とか、相手に配慮しない身勝手な物言いだとか。真っ当に生きていくことからの逃げが、ぐうたらに、無頼に、奔放に生きているふりをすることにつながっているのではないか。。。それも自衛のうちでそれすらもできない時に待つのは自己破産や破滅や自死なのだとしたら奔放で爛漫なフリに逃げるのも構わない。しかし真面目にやっているやつをクサすのは見苦しい。

父と子だけの二人旅。御岳山の宿坊「西須崎坊 蔵屋」

 

父と息子の二人旅。

 

3歳半ぐらいになったら息子と私の二人だけで東京近郊に旅行に行くことにしている。

 

長男は次男が生まれてからというもの、自分だけを見て構ってもらうということがなくなっていたので親子二人旅は楽しかったそうな。次男は次男で長男に比べて全てにおいて2回目で両親の注目も少ない。次男の方が常日頃から自分に注目を集めるための我儘や悪戯が多いように感じる。

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そんなわけで今回は次男の番。次男を連れて奥多摩の御岳山の宿坊へ。青梅快速に乗り、バスに乗り、ケーブルカーに乗る。あれこれ乗り継ぐだけで幼児にはすでに楽しいし、段々と田舎に、山奥に、山頂にと景色が移り変わるのも楽しい。

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武蔵御嶽神社までは舗装された道路に石段なので幼児にも歩ける。適度な運動で疲れてもらって、食事後にはぐっすりと静かに寝入ってもらうのが理想的だ。

 

大人だけだと御岳山の入口に過ぎない武蔵御嶽神社だけれども幼児からしたらかなりの石段の連続だ。本人としては頑張った様子。

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何度も参拝しているが初めて御朱印を頂くかもしれない。美麗な筆跡。

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今回の宿はこちら、「西須崎坊 蔵屋」。山頂集落で最も武蔵御嶽神社に近く、最も標高の高い位置にある宿坊だそうだ。

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部屋数は6つほどか。眺望のある側と、参道側の離れに分かれていて案内されたのは参道側の離れの8畳間だった。個室からは参道が見え、眺望はない。部屋にトイレが付いていて幼児連れには有難い。室内の調度品に特に目を惹くものはなく、壁の絵も川合玉堂平山郁夫といった画家の作品ではなく、レプリカだ。ホームページで見るよりは古びた印象だが清潔にされている。エアコンは無く、扇風機が一つあるだけだが十分だろう。

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風呂は温泉ではないものの、清潔でそう昔でない頃にリフォームされたと思われるタイル張りの浴槽。外からは晴れていると遠くに街の夜景が見られる自慢の「天空風呂」だそうだ。真夏だが、山頂は涼しく、温かい風呂が最高に気持ち良い。

 

息子は熱すぎて入らないなどと言っていた割に、お湯に浸かっていた。

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大きな40畳の広間にテーブルと椅子が並べられており、そこが食堂となっている。脇には立派な神棚があり、かつては講の巡礼者達を受け入れていた宿坊であったことが偲ばれる。

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調度品に風格を感じる。

 

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食事は全宿泊者が18時から広間で頂く。幼児にはチャイルドチェアこそないものの、椅子の上に座布団が2枚重ねられ、プラスチックのカトラリーやスプーン、フォークも用意されており、歓迎されていることが嬉しい。

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先付として大人はトマトやオクラを固めたもの、エシャロットの味噌付け。

 

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南瓜、隠元、茄子、ガンモの煮浸し。

 

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刺身蒟蒻に茶碗蒸し。安っちいスーパーの添加物まみれの刺身蒟蒻ではなく、御岳の集落で作っているものっぽい。

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冬瓜の海老餡掛け。ほんのり甘く、柚子の酸味が爽やかで海老のコクもある。こういうものを丁寧に美味しく作れるようになりたい。このひとかけの柚子皮を入手するのが厄介なのだよな。

 

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鮎の塩焼き。

 

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頭から食べても苦味が抑えめで香り高い小振りの鮎。このサイズからして天然だろうか。ドクダミが描かれた皿との組み合わせも軽妙だと思った。

 

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腹加減を気にしながらも口直しに食べて欲しい、と分量が少な目に供される蕎麦も嬉しい。昼は手打ち蕎麦を看板商品にしている。

 

御岳山の宿坊は総じて料理の質が高いように思う。

 

幼児メニューは鍋の代わりにハンバーグ。茶碗蒸し、煮浸し、鮎、冬瓜の海老餡掛け、蕎麦は大人と同じメニュー。野菜が多く、肉は川魚。調理が悪いと子供は全く口をつけない可能性もある献立だが、あれこれ腹がパンパンになるまで食べた。やはり素材自体も味の引き立ても良いと食べるものだな。

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食堂には日本画の大家、川合玉堂さんの書や画が飾られていた。そういえば前に泊まった山楽荘にも客室に至るまであちこちに逆胴さんの絵が飾られていた。川合玉堂はどこか一つの宿坊だけを定宿にしていたわけではなく、あちこち泊まり歩いて書画を贈っていたのだろうか。それとも乞うて譲ってもらったのか。

 

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直木賞作家の浅田次郎さんの書も飾られていた。ちなみに浅田さんは母型の祖父母の実家が御岳山の集落だそうで、幼い頃から御岳山に帰省していたのだそうだ。

書画はどれも既に名を成した大家ばかりだ。まだ駆け出しの頃の絵は無いものなのか。昨今の現代芸術家が投宿して画を残していくようなことはもう無いのだろうか。

最近の作家はもうそんなことはしないのか、最近の宿は若手の絵で支払いに換えるような酔狂はもう受け付けないのか。どうなのだろう。

 

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細川護熙さんの揮毫。書いてもらったものらしい。あの超絶趣味人の人が短い余生でここに泊まりに来ることは流石に考えにくい。入り口には政治家とのツーショット写真やらが、陳列されていてそれは少し興醒め。信仰も政教分離も無く権力者に擦り寄ったらもう、宿坊では無く単なる観光宿泊所になってはしまわないか。

 

  • 部屋は特色なし。個室トイレは子連れに有り難い。
  • 展望のある母屋の部屋に大人だけで泊まればまた趣きは違うかもしれない。
  • 風呂は新しく清潔で気持ち良い。眺め良し。
  • 広間の神棚がなかなかの貫禄と品格。
  • 民宿と分類するには抵抗あるほど食事がしっかりしていて美味しい。
  • チェックイン15時、チェックアウト10時。それ以前、以降に身を置くスペースはない。(例え外が雨でも)

私の好みでしかないが、食事なら山楽荘が素晴らしいが蔵屋も良いことがわかった。内装や調度品も楽しむなら山楽荘。川合玉堂北村西望などの作品にふれるならば山楽荘。風呂は廃墟好きには山楽荘たが女性受けは蔵屋の天空風呂か。参道の好立地は蔵屋。眺望の見える部屋なら南山荘の寝転びながら山々を見渡せる客室も夜景を眺めながら食べられる食堂も捨てがたい。家族経営の温かみあるもてなしも南山荘。

次回は御岳山荘に泊まってみたい。 

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嵐の後の濡れた参拝道を手をつないで歩いて下った。二日間の間、息子が話しかけてきたこと、問いかけてきたことには全て即座に反応した。「ねえ」「あのさ」に全て間髪入れず「何?」と対応することを心掛けた。彼のペースで虫を観察したり、石ころを拾ったり、木を見上げたり。大人でも膝に負荷を感じる行程なのによく頑張った。宿でもおとなしくしていたし、悪戯も我儘もなかった。親が自分のことをしっかりと見てくれている充足感があるといい子にしていられるものなのだな。普段からも彼がもう少しそう感じられるようにできれば良いのだけれども。

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高円寺阿波踊り始まる

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 1万人が踊り、100万人の観光客がこの数日に訪れるという高円寺の一大イベント高円寺阿波踊りが今年も始まった。

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 カッコいい。相変わらず良い表情してみんな踊っている。

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 今日は土日よりも短い「ふれ踊り」。狭い商店街をお披露目するように踊り行く。見物客との距離はとても近いが、踊り自体はとてもおとなしめ。

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大通り一杯に使う明日の本踊りは躍動感に溢れ勇壮、雅。

 

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良い味だしてる兄ちゃん。高円寺阿波踊りは元は「ばかおどり」という名称で同じ阿呆なら踊らにゃ損々なものだったわけだ。

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情熱的に、でも格式張らずに。


純粋な日本人だけでなく親のどちらかが外国人であろう子も増えた。多様化して賑やか。

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 PAL商店街がエトワール商店街と交わるあたりを起点にルック商店街を踊り歩いて新高円寺へと向かって行く。

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汗かく葡萄山椒の鮮烈な辛さの麻婆ラーメンがやみつき 阿佐ヶ谷「箸とレンゲ」

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阿佐ヶ谷のガード下が一昨年に綺麗にリノベートされ、イタリアンやカフェ、オーガニックスーパーなどと共に一角に「箸とレンゲ」というラーメン屋が入った。アンチチェーン店の私としては、なんだチェーン店か、と最初は思ったものの予想を上回ったので書いて置く。優れた個人店がチェーン店へと発展していく家庭の典型例なのかもしれない。

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内装は明るく小洒落ていて1人客にも入りやすいレイアウト。

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ここの売りは麻婆ラーメンと担々麺。それぞれに葡萄山椒の実をたくさん入れたほんの少し高いメニューと、実山椒の入ってない少し安いメニューが選べるようになっている。置かれているビールはCOEDO。晩酌セットもある。

 

さらには麺を半分にしたり、麺を野菜に変えたり、豆腐に変えたりと炭水化物を避けたい人にも優しい細かな気配り。紙エプロンの準備も抜かりない。

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で、肝心のラーメンなのだが、ううむと唸ってしまった。実山椒の辛さが頭のてっぺんから汗を吐き出させる。辛い。旨い。茄子やら乾燥玉葱やら具も盛りだくさん。

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しかも麺はよく見ると、白滝のようなビーフンのような麺と混合。カロリーにより優しい配慮。これは男性客だけではなく、女性の一人客も虜にしそうだな。

 

店を出る際には、もう次はいつ来ようかと考えてしまう。高円寺のXing Fuに少し似ているラーメンだが葡萄山椒の鮮烈な辛さと値段の手頃さは魅力。

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葡萄山椒ジャムがアクセントという杏仁豆腐も180円という安さとデザートに追加しやすい分量。

 

麺庄はチェーン店だけれども、市ヶ谷の「麺や庄の」というラーメン店から始まった元は個人店で破竹の勢いで成長しているラーメン屋だ。サンフランシスコに出店した店は現地のニーズを捉え、形態を適合させ、39ドルという高単価でも予約の絶えないミシュラン一つ星の人気店となったそうな。それが今度、MENSHO SANFRANCISCOとして日本に逆輸入出店するらしい。しかも2000円弱というこれまでのすぐ食べて出て行くラーメン屋の概念を壊す店として。

 

組織としての規模の拡大は店舗レイアウトに秀でた人、デザインに優れた人、生産農家周りや物流確保に優れた人など強みを持ち合わせることを可能にする。この店も、ターゲットやコンセプトがわかりやすく、店の内装から座席からメニューオプションまで一貫している。それでいて庄野氏の個人店から始まった個性がまだ強く活きているから全体のバランスが非常に良い。このステージまで辿り着く個人店は本当に少ない。

 

全く同じメニューの店を何店舗も出すわけではなく、あちこちに異なるコンセプトのラーメン屋を開いているのも魅力的。後楽園のラム肉ラーメンや新宿二丁目つけ麺GACHIのつけ麺も食べてみたい。

 

羊歯鉢、菊練り鉢の釉掛けと酒杯の轆轤挽き

表現実験内容

  • マンガン窯変釉の流し掛けの定着性、発色性
  • 鬼板、鉄マットの発色性と組み合わせ相性
  • ラスター光彩釉の上にマンガン窯変釉を掛けた箇所の表現

 

会社を休んで、朝から作陶に励む。先生は来ないので、石膏型作りの続き作業はできない。

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羊歯を描いた鉢にマンガン窯変釉を掛けた。ある程度、厚く描かないと霞んだ緑色に気持ち悪く発色するので撥水剤で輪郭を抜いてたっぷりと釉薬を掛けた。鬼板、黒マット、マンガン窯変の三色が調和して出てくれると良いのだがな。表面をスポンジで汚した箇所も都合よく焦げてほしい。

 

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新芽。蕨やら羊歯やらの混生。遠近感とまで言わずとも、賑やかに焼きあがってほしい。

 

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羊歯は大きな葉の茎が出てなかったり、小さい葉は一部が潰れていたりするが、これも表情ということで。かすれた感じでも面白いかもしれない。下に流れないことを祈る。

 

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縁を持って作業したら欠けた。不注意極まりない。薄造りなので補強の目的もあり内側もマンガン窯変釉を掛けた。これで完成。発色が悪かったら塗り直して還元焼成に回すしかないが酸化焼成で一発で焼きあがってほしい。さもなくばゴーラムを成長期の前に植え替えることができなくなってしまう。

 

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こちらの上部が菊練り状の鉢も冒険だな。基本的にはマンガン窯変釉を掛けている。せっかく側面が縮れた土肌をしているので少しばかり見せたくなって一部、釉薬を剥いだ。

 

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赤く鉄系の釉薬が見えている箇所はラスター光彩釉。土の盛り上がった頂上はガンメタルに光ってほしい。

 

内側にも釉薬を掛けた。鉢として水抜き穴は開けていない。うまく焼けたら生花が趣味の母に贈るつもりだ。中に剣山でも入れて水も入れて花を投げ入れてほしい。花を活けるのに向いた鉢なのかはわからないが、そこは母の活花の手腕でどうにかしてほしい。この鉢も失敗してやり直す時間的猶予はないので無事に一発で焼きあがってほしい。

 

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それから8つほど轆轤で水挽きした。用途は酒杯。日本酒を飲むのに盃では小さすぎて、もう少しグビグビと飲めるサイズが欲しかった。

 

半年も轆轤を回してないと感覚を忘れてしまっていて難儀する。

 

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一部に、呉須を分厚く塗って焦がす技法を使ってみたい。筆で塗るのではなく、判子のように塗ると良いと言っていたっけ。月の満ち欠けのようにしてみたい。

 

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一部を植木鉢にしようか、思案中。

 

写真に撮り忘れたが、円錐輪状の鉢と底の浅い平鉢も挽いた。円錐輪状の鉢は、これまた水を溜めれるようにしてそれこそ生花に使ってもらいたい。平鉢は上部が平で瓦礫のような鉢に仕立て上げたい。

 

鹿鉢も蝉の抜殻鉢も作りたいのだがな。全くもって作陶時間がない。

 

半世紀前の映画の魅力 ラピュタ阿佐ヶ谷で「渥美マリ」作品

阿佐ヶ谷のジムで汗を流し、ふらりとラピュタ阿佐ヶ谷に足を向けたら1970年の映画のレイトショー上映があった。取り敢えず、観てみることにした。上映していたのは渥美マリという昔の大映女優が主演の「続いそぎんちゃく」という作品。別に日活ポルノのような類ではない。

 

1970年の作品なので私が生まれる幾年も前、私の両親が出会ってもいない昔の作品になる。

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渥美マリという女優はその当時でセックスアピールを武器にし、「和製ブリジットバルドー」とも呼ばれた人で1968〜76年あたりで活躍していたらしい。

 

女学生であんなに眉毛を引いてマスカラばっちりな女性がいるかいな。今よりもはるかに厳しく高校生の化粧など禁じられていた時代だと思うのだが。

 

上京する際の列車が鉄道博物館で保存展示されていたような木床のレトロ列車だった。登場する車が全てクラシックカー。資料館の展示物のようなアンティーク品が生活の中で彩色で登場するのを見ることができるのが面白い。1960年代映画、1970年代映画は建物や小道具を見るだけでも案外面白いことがわかった。

 

昔ながらのランダムな丸タイルの風呂場、熱冷ましの氷嚢を吊るす台、布団を並べて夫婦が寝る昔ながらの和室の寝室。

 

富士急ハイランドが半世紀前のその当時からあって、観覧車などの遊具に加えて、スケート場として賑わっている様を見るのも新鮮な驚きだった。既にオリンピック後なので代々木の競技場が今と変わらない姿である一方、あれ、これは戦前かと思わせるような街並みが映ったりもしてその当時の情景が実際はどうだったかがあれこれわかって面白い。

 

脚本や展開のわかりやすさがもはや喜劇。おいおい、な展開に観客のおっさん達から笑い声がでる。ちなみに観客は8割方が60歳以上と思われた。昔、ドキドキしながら観た憧れの女優だったりするのだろうか。

 

若かりし頃の田中邦衛が気鋭の写真家として登場する。私の中では「北の国から」の枯れた朴訥とした男の演技の印象が強い人だったが、尖ったアクの強い服を着こなしてギラギラした男を演じていて新鮮。あの口をすぼめて突き出した表情は若い頃からやっていたのだな。オネエキャラの登場人物が度々登場する。当時からホモセクシュアルはある程度認められていたのだろうか。

 

渥美マリという人は昔風に言うと「バタ臭い」風貌とでも言うのか。化粧が濃くてあまり最初は美しい人だとは思わなかったが、田中邦衛扮する気鋭写真家の写真を観ているうちに魅力が伝わってきた。実際には立木義浩という写真家の作らしい。

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ラピュタ阿佐ヶ谷では戦後独立プロダクションの1950年代、60年代の映画を7月から9月の間、上映しているようだ。1967年新星映画社の田中邦衛主演映画「若者たち」、55年文学座淡島千景主演「心に花の咲く日まで」、1956年山本プロダクション、佐田啓二主演の痛烈社会風刺劇「台風騒動記」など。

 

近代史と現代史の狭間とでもいうのか。時代劇で江戸の街並みは見慣れていても、1950年代、60年代の街並みや風俗慣習というのは私からするとすっぽり抜け落ちていてとても新鮮で面白い時代に映った。年老いた大女優やらかつての銀幕のスターは大御所としてちやほや扱われていて不可解に感じていたが、若い頃の美男美女の姿などを見ると、ああ、だからスターになったのかと腑に落ちる。


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「心に花の咲く日まで」の淡島千景の若い頃。


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往時を知る人からしたら、何を今更と言われるかもしれないが八千草薫さんの若い頃も可憐。

 

昆虫ふれあい展でクワガタムシの蜜争奪戦を高みの見物

 

新宿小田急百貨店20日まで行われている昆虫展に子供を連れて行った。

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入り口付近には巨大なダンボール製のカブトムシ、カマキリにアリ。案外、巨大化するとアリが一番カッコ良かったりする。

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緑に輝くゾウムシ。世界、特に熱帯を探すと大抵の種類の金属光沢種がいるのは何故なのか。

 

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数千の昆虫標本が並ぶ。瑠璃花蜂を間近で見たかったが残念ながらいなかった。この形状で瑠璃と黒の縞模様だなんて、限定彩色のシークレットでしかない。

 

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この穴蜂とて、宝石のようだけれども。

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 ビワハゴロモツノゼミと並んで私の中の怪奇昆虫。

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牙を露出した状態の良展示。こんなフワフワしているくせに、不釣り合いな鋭く尖った長い牙。これが毒持ちで高速で動き回るとしたら、それは恐怖でしかない。

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ヘラクレスオオカブト。ゼリーや蜜を舐める時は完全に下顎が邪魔だということがわかる。昆虫界のサーベルタイガーというかバビルーサというか。

 

トマソンという概念がある。「存在がまるで芸術のようでありながら、その役にたたなさ・非実用において芸術よりももっと芸術らしい物を「超芸術」と呼び、その中でも不動産に属するものをトマソンと呼ぶ」。昆虫の過剰に発達したそれらは実用性の彼方へと達してしまっていて、なんだかトマソン的でもある。

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網で40畳ほどのスペースが囲われ、300匹ほどのカブトムシやクワガタムシと触れ合える巨大コーナーが作られていた。百貨店の催事スペースにしてはかなりの力の入れようだ。小田急百貨店では昆虫展は今年が初めてだという。

 

ウッドチップが敷かれた上に朽木が散在しており、その上に蜜やゼリーなんかが置かれている。子供達は自由にカブトムシやクワガタムシを捕まえられるようになっているのだが、なかなか大人でも木から引き剥がすのが難しいくらいカブトムシの鉤爪は鋭く力は強い。

 

飛び回るアトラスオオカブトもいて、若いお母さんがキャーキャー叫びながら逃げていた。

 

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私が子供の頃はこんな海外のカブトムシやクワガタムシは図鑑だけで見る憧れだった。そのかわり、国産のカブトムシやクワガタムシはそこらの雑木林で採りに行けるものだと思っていた。

 

都会の子の親になってみれば、近くに雑木林はないし、田舎に出かけてクワガタムシやカブトムシを捕まえに行く日程的な余裕はない。大人の入場料500円だけで未就園児2人を虫に触れさせられるのは手軽でありがたい。

 

結局、子供2人は怖がって遠巻きに見ているだけだったけれども。もう少し、虫を触れるようになってほしいものだ。家に出没するGをビニール袋越しに手掴みして潰さずに家の外に放り出すぐらいのスキルは身につけてほしい。

 

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ドヤ。

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喧嘩が始まったので急いでカメラを向けたら、モンスターにエンカウントして戦闘が始まったかのような視覚効果写真になった。

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互角な戦い。顎が長くて外側から挟み込めるほうが有利か。全くの同種同士だとそんな印象だった。

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しかし案外、小柄なヒメノコが立派なノコギリクワガタをうっちゃり投げる。体格差を補う積極性と俊敏さ。空回りする大きすぎる顎を横目に、脇からコンパクトに挟み込めるヒメノコの方が強かった。何か、教訓めいたものを無理矢理、くみ取れるような気もするが、まあ虫の喧嘩だ。

 

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田舎でもそう簡単にこんな高密度でカブトムシやクワガタムシが喧嘩をする様は見られないし、なんだかんだ都会にものは集まるものだなあ、と思った。私が東京よりも関西の方が食べものは美味しいと言うと、意外に京都の友人は「上等なものは何でも東京に集まる。お金さえ出せれば何でも手に入る」と言っていてその当時は反発心を覚えたけれども、実際はその通りだったりする。北海道や豊後の朝獲れの海産物すら空輸されて夜には皿の上に並ぶ。都会はお金がものを言う環境なのか。なんか面白くないが、それも現実。

 

最終日には朝の10:00に整理券を配り、16:00からカブトムシやクワガタムシを捕まえて一匹無料で持ち帰ることができる。こうして、企画後の生体は全て子供達の手に渡って整理される。朝と夕方に2回来ないといけないが、数分で整理券に長蛇の列ができて10時10分ほどに着いた人にはもう整理券は残っていなかった。

 

金魚を使ったアートアクアリウムは企画後に金魚を大量に処分する商業性から非難轟々だったそうだが、あちらも参加者に持ち帰ってもらった方がまだましなのかもしれない。

 

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出口には人類の食糧の未来、昆虫食の展示が。クリスピーな食材が陳列されていた。高タンパクらしいけれども、歯の間に挟まりそう。小さい頃から食べ馴染めば、どうってことはないのだろうけれども。

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慣れればこれをみて食欲は湧くのだろうか。何に食欲が湧くかはその生物種の生態であり本能なわけで、果たして人間の本能はこれを見て唾液が分泌されるようにできているのだろうか。

 

私の子供達は、おっかながってカブトムシにもクワガタムシにも触らずじまいだったが家に帰ると。クワガタの喧嘩、凄かったね、カブトムシ、たくさん飛び回ってたね、と繰り返していたので刺激はあった様子。良かった。