ドイツ人御夫婦は大層感激されたようで翌日以降も特に寺の友人を訪ねた話ばかりしていた。
寺では、夏の紗のような涼しげな装いをした友人が迎えてくれた。ナチュラルファンなんていいながら渡して頂いた朝顔柄の団扇にも興味津々。小学生の子が茶菓子を運んでくれ、一緒に破顔の笑みで撮った写真も宝物となった様子。
藁草履を履いて苔の茂る中庭に降り、木槿と寿の掛軸の部屋に場を移す。待合に腰掛け、そしてにじり口から茶室へ入る。後日、職場で写真をみせながら、刀を持っていると入れないんだと得意気に説明していた。
茶室は程よく陰影があり、落ち着く。紫陽花を一緒に見に行ったこともあり、私達が興味があるかとガクの綺麗な山紫陽花を活けて迎えてくれた。茶の湯の理論はわからないけども、歓んでもらおうという気遣いに溢れていた。その細やかな心配りを洩らすまいと感じとり感謝の気持ちでお互いに気持ちの良い時間を過ごすということなのかね。なんとなくそう感じた。
なぜ庭には華が無いのか、寺は誰の所有物か、檀家との関係はどんなものか、出家者数の推移などなど。御夫婦は始終質問攻めだった。高揚が伝わってきた。誰もが知る観光名所を訪れるよりも、記憶に残るのは人との楽しい出逢い。異文化に触れるにしろ、建物や食物も興味深くはあるがその担い手たる「人」とふれあう刺激には遠く及ばない。それは金で購入できないものでもある。
私自身もくたくたになったがとても楽しめた。御夫人が景観設計を専門にしており、まず苔の美しさに惹かれるような感性を持っていたからであり、御主人がにこやかでかつ知的好奇心に溢れていたからでもある。写真も大層喜んで頂けた。立て替えていた観光の諸費用を最後にスイスフランで払ってくれたのにはちと困った。