MLB黒人暴行騒動を起因して吹き荒れるデモと暴動。ホラーコメディーの傑作「帰ってきたヒトラー」

最近のニュースをみるのがしんどい。アメリカでのコロナ禍が止まらない中で起きた警察官による黒人市民の不当殺人、その犯人の警察官の名字が盲目的愛国主義、排斥主義者を意味するショービニストのモデルとなったフランス人と同じ苗字であるCHAUVINというのはタチの悪い冗談か。日本人の名字が「攘夷」みたいなもんか。その名字で生まれるのは辛いことだけれども。そして理解し難いのが便乗する略奪、略奪品をSNSで自慢する輩。

 

息子に、なぜこんなことが起きているのかと聞かれて言葉に詰まった。「クラスのお友達みんなと仲良くしないといけないよ」なんて言えない。大人は手本になれておらず少なからず誤った考えを再生産している。

  

 一番、心に刺さった部分をさらに少しだけ細かく訳す。

「新しい世代にもっと良い解決策を生み出して欲しい。今のうちらの世代のやり方ではうまくいかないんだ。」

 

アメリカの状況を機に自国内の治安維持の正当性を強調する中国。

コロナ感染拡大と死者増に頓着しないブラジル大統領。ブラジルが感染者数と死者数の公表をやめるというニュースは本当か。

麻生太郎氏の「日本人は民度が違う」発言にも危うさを感じた。日本人こそは一級市民で他のアジア人を導く存在だとの優位主義観はその後、どこへ日本を導いたのか。

国連機関は瓦解し始め、各国が自国優先を強め、相互に排他性が増していく様を見ると大きな後退を感じる。

 

そんな胸騒ぎと失望感に包まれた情勢下で観た映画「帰ってきたヒトラー」は私の中でここ20年で1番のホラーコメディーの傑作だと思う。

帰ってきたヒトラー(字幕版)

帰ってきたヒトラー(字幕版)

  • 発売日: 2016/12/23
  • メディア: Prime Video
 

 

自殺したはずのアドルフ・ヒトラーが現代に蘇るという一見、B級映画臭のするあらすじ。道行く人に「役者かコスプレ芸人?」とおもしろがられ、テレビディレクターに見いだされてバラエティー番組に出始めると、巧みな発声や間合いで既存政治や貧困の蔓延を批判、テレビやネットで人気者に――。

 

実際に「ヒトラー」が一般の人たちと街中で接する場面の大半は台本なしでゲリラ的に撮影し、仕込みのない一般の人たちの生の反応を写し取っているそうだ。ヒトラーのモノマネをタブー視はしないよ、私は度量が広いから、とばかりにみんな無警戒。大勢がセルフィーを一緒に撮りたがる。

「いつまで謝罪しなければいけないのか」「移民を自国に追い返すべき」「みんな外国人のせい」人々の生の声が溢れ出てくる。

アドルフヒトラーの役者自身も驚いたことに、「撮影されていることがわかっていても、外国人排斥や人種差別を口にする人がいたんだ」

 

アドルフ・ヒトラーは作品中、極悪人でもサイコパスでもなく、父性と包容力を感じさせる実に穏やかな一面もみせる人間味溢れた男として描かれる。実際にもそのような側面があったらしい。アドルフ・ヒトラーをドイツへの愛と使命感に基づいた「善人」のように描いているのは彼を賛美することも肯定することも目的ではなく、実際に彼は有能な政治家で時に父性あふれる包容力のある男に見えたリアルを描くため。明らかな異常者として描くのはむしろヒトラーの危険性を過小評価してしまう。

 

人々が再び洗脳されてしまうリスクを持っているのかを試した作品とのことだが、答えは明らかだった。

 

ヒトラーを絶対悪として議論すら受け付けないのも思考停止で危うく映る。

 

自分の頭で考え、きちんと選挙に行って投票しないといけない。そうは言うけれども、生半可に政治意識を高めて彼らの主張に耳を貸すことこそがヒトラーのような指導者を民主主義の制度下で生み出すことに繋がったのではないのか。そこに恐怖を感じる。

 

国難をいくつか救ってしまえる巨悪に私達はまともな思考力で立ち止まって判断できるだろうか。例えば少子化を解消し、経済成長率も大幅な改善を達成し、底上げにより所得格差も縮小させるような有能な政権及び首相が現れ、そんな政権がある日、「日本国の主権と自律を守るために早急な核軍備を進める」だとか「◯◯人の入国を規制し、◯◯国からの投資の引き上げを推し進める」などと言い出した場合はどう反応するだろうか。未だかつて過去の政権がなし得なかった問題を鮮やかに解決してきたし、確実に私達の社会を良くしてきたように思える。今度の新しい施策や方向性も私にはよくわからないが彼らを信じようと、そう思ってしまわないだろうか。

 

不謹慎かもしれないが、マスク2枚を国民に配ることすら巨額を投じても迅速にこなせず、コロナの感染拡大が抑えられていることを「民度の高さ」などと言って政府の無策を開き直れる無能さに安堵する。無能の害は有能が方向を間違える害よりもマシに思える。

 

あまりに酷すぎると有権者の不満や危機感が高まりすぎて有能な指導者を求めるばかりに有能な巨悪が台頭しかねない。適度に無能な指導者が惨事とまでは言えないしょっぱい成果を出しているぐらいが安心できるのではないか。