ドラえもん尽くしの三連休。映画「Stand by me2」、漫画三昧、藤子F不二雄ミュージアム

三連休は子供にひたすら尽くしてみた。長男のここ一年で一番好きなものが「ドラえもん」。

そこで土曜日は自転車で街のブックオフに古本の「ドラえもん」漫画単行本を探しにいき、10冊買った。


翌日は朝の8時前に家を出て映画ドラえもん「Stand by me2」をせがまれて観に行く。朝一番の回は半径5mに他の客がいないほどコロナ禍でも安心して観られる空き具合。長編冒険活劇ではなく、大ヒットした3D版のドラえもんじんわりとくるドラマ重視の「泣きドラ」と言われる作品の続編。


しずかちゃんと結婚する直前にのび太は自信を失って婚前逃亡する。そんなのび太が自信を取り戻すまでの過去と未来を行き来するお話。息子が涙を流して鼻をすすっているのを横目に見て、なんだか多幸感に包まれる。


映画を観た後は中野の公園で芝生にシートを敷いて、毛布も持ち込んで4時間も前日に買ったドラえもんの単行本漫画を読みながら合間合間にハンバーガーを食べ、バトミントンをしたり、サッカーをしたり、昼寝をしたり、ゴロゴロと過ごした。のび太的時間の過ごし方とでもいうべきか。最高。

声を上げて笑いながら読む息子を見て、自分の感受性の喪失を実感する。ドラえもんを読んで声をあげて笑える人生の方が楽しいに違いない。この感性を失わずにいて欲しいが、それでは人生は生きづらいものなのだろうか。


最終日はこれまた息子の要望で8時過ぎに家を出て登戸にある藤子F不二雄ミュージアムへ。

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駅に着いて早々、息子のテンションの高いこと。ここにもドラえもん、あそこにもドラえもん

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舞浜がディズニーならば、ささやかながら登戸は全面「ドラえもん」で推す覚悟を見せている。


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壁にキャラクターを貼ってあるだけでも、子供達は大興奮。ディズニーランドに連れて行った時よりもテンションが高い。

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駅からはドラえもんラッピングバスが藤子不二雄ミュージアムまで直通運転している。

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バスのシートまでドラえもんの秘密道具柄だったりして楽しい。停車ボタンはパーマンだ。ドラえもんが好きな人からしたらこういう細やかな演出一つ一つが楽しくなるらしい。

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基本的に展示は撮影不可なので館内の写真はない。

ジブリのように2本立てのショートアニメが上映されていた。

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のび太のモデルは藤子F不二雄先生本人だという逸話がショートアニメでも展示でも語られていた。グズで足も遅く、勉強も出来なくて、泣き虫で甘えん坊。


そんな藤岡弘少年が9歳の時に相棒の我孫子素雄少年と小学校で出会い、やがて30年以上共に漫画を描くことになる。小学生の同級生と人生を賭けた夢に一緒に挑み、長く人生を共にすること自体が稀有だと思う。

私が9歳の頃を共にしていた友人とは誰とも繋がりを保てていない。嗜好や環境もライフステージの変化と共に変わり続ける中で、長らく同じ相手と仕事を共にしていけるのは相手に合わせる柔軟性や包容力、変わらない芯などをお持ちだったからなのではないか。お二人の人格のなせたこと。

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それにしても、ドラえもんにおけるのび太は初期は特にぐうたらで意思薄弱で意気地なしで卑怯で薄情にも描かれる。すぐドラえもんの道具に頼って楽して何かを得たり成し遂げたりしようとする。そしてしっぺ返しに会うことの繰り返し。それが滑稽で笑えて愛嬌があって立派でないところに親近感を持てたりする。

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それがいつからか、特に長編ドラえもんでは「人の不幸を悲しみ、幸せを喜べる優しさ」を持っているというその一点でのび太が全肯定されてしまうようになっていく。そこに少しばかりの気持ち悪さも感じる。あのぐうたらも卑怯さも、狡さも、セコさも、辛抱の無さも、優しさで帳消しにされて肯定されてしまうのか。優しさ至上主義と言ったら言い過ぎか。なんなら、しずかちゃんとの結婚は優しさへのご褒美であり、しずかちゃんはトロフィーワイフと化してやいないか。


長編ドラえもんでは、意地悪のいじめっ子ジャイアンが頼りになる男気溢れた友人に変わったり、普段見せない姿を見せる舞台と割り切っている。のび太のび太らしくなくても、いわゆる年に数度の大反省の日みたいなもんで、たまに頑張る日ぐらいに捉えている。

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藤子F不二雄先生もとっくの昔に亡くなっているのにドラえもん作品は作り続けられる。頼むから、優しさこそ善みたいな薄っぺらい道徳の押し付け、狙って泣かせる商業主義に走らんでくれよ、とも思う。


狡くて怠惰で勉強も運動も苦手な少年の懲りないのび太の毎日に、自分ののび太的側面で同調し、なんだかダメなままでも受け入れられ包まれているような温かみを感じられる。それがドラえもんの魅力だと思っていた。他のことはダメでも一番優しいではなく、みんなダメで優しくもなれないけれども、そんなのび太でもやっていける世界を守り、のび太のような私たちの居場所を残してほしい。


しずかちゃんと結婚するのも不可思議な謎のままで良いのに、「のび太が誰よりも優しい人だから」みたいな理由づけは要らない。

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弱虫が努力してやがては最強になるようなジャンプ漫画はそれはそれで沢山あっても構わない。ダメダメなままの主人公がドラえもんにおけるのび太の魅力なのに、勝手に成長物語にしてもらいたくない。

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優しくすらなれなくても、どんなにダメ人間でも、いいんだよ、というのがドラえもん作品の包容力ではなかったのか。人に優しくすることがどんなに難しいことか。

スポーツを頑張るよりも、勉強を頑張ることよりも、人への優しさが絶対価値として突きつけられるなんて、仮に正論だとしても息苦しすぎる。


フランスでのイスラモフォビアを見ても、アメリカでの分断を見ても、日本でのマイノリティの扱いや格差問題を見ても、ミクロレベルでの優しさの欠如の集積結果と言えなくもない。人はそんなに優しさを持ち合わせていない、持とうと望んでもそのように振る舞えないことも多いと思っている。


のび太が「世界の誰よりも優しい」だなんて、のび太に親近感を抱かせた後に絶望的に突き放す設定ではなかろうか。

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漫画コーナーで子供達が1時間近く漫画を読んでいる間に、そんなことを考えていた。

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お土産はどら焼き。最近はカスタード入りだの求肥入りだの一捻りしたどら焼きが増えているが、やはりシンプルに餡子のどら焼きが良い。マンゴー殿に齧られるところだった。危機一髪。

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