親戚Kを偲ぶ

ふとした空白の時間に最近亡くなってしまった親戚のKのことばかりを考えてしまう。

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10歳ほど歳下だが一番近くに住んでいる親戚の男の子で子供の頃はそれなりの頻度で会っていた。まつ毛の長い子供の頃はなんとも可愛らしい彼だった。最近、自ら命を絶った。
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大人になってからもう何年も会っていなかったので、会っていない日常と彼がこの世からいなくなってしまってからの日常の間で私にとって物理的な違いは無い。会いもせず生活で接点もなく助け合うこともない親戚はたくさんいる。会えば懐かしいし近況を聞くし親愛の情はあるのに。考えてみれば多くの親戚や友人に対して会いもしないくせに勝手に元気でやっていてくれることを期待していることに気づいた。薄情だ。

 

いろいろうまくいかないことも多いらしく都内で飲みに誘ったが「会わせる顔がない」などと意味のわからないことを言って出てきてくれなかった。
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昨年、冠婚葬祭で再開した際には随分と逞しくなった印象を抱いていた。

 

食べ物は何が好きなのだったっけ。彼女はいたのか。初恋は。初体験は。ストレス発散には何をするのが好きだったのか。知らないことばかりのまま、話すことなく去ってしまった。
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故人を知らないのに「残された皆さんが幸せでないと故人は心配で安心していけません」などと何もわかっていないことを言う。彼はもう全てが嫌になったというのに。

この若い坊さんも、故人に思うところなんてなく生業として葬儀業を行っているだけなのだろうなどと考えてしまう。私の葬式はひたすら簡素で良い。墓も墓石もいらない。京都の友人の住職に葬儀という形式をとらず暇な時に家族を前にお経を唱えてくれたらそれで十分だ。友人の野太い「ぎゃーてーぎゃーてー」が聞きたい。
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彼の人生は何だったのか。私の人生はなんなのか。

お互いに親戚の集まりで何人もいる子供達の中の1人だった。大した違いなどなかった。どんな違いが積み重なってこんなに異なるところに離れていってしまったのだろう。理不尽なことばかりだ。お互いに酒を飲める年になったのだからサシで飲んで話したかった。空虚だ。