「ポツンと一軒家」の弓削さんを見て、鬱になるのが怖い。

たまたま、「ポツンと一軒家」という番組の弓削さんという方が取り上げられている回を見た。

 

カメラマンだった弓削さんは26歳で独立して撮影スタジオを立ち上げた。以降、事業は順調に伸び、撮影は雇ったカメラマンに任せるようになり経営に専念。しかし現場の一線から退いて暇になり鬱を発症してしまったという。現在46歳、7年前に結婚した奥さんは千葉に住んで家業に従事、弓削さんとは週末婚の生活形態だそうだ。お子さんはいらっしゃらない。2017年に愛媛の山中に500万円で広大な土地を買い、そこで全て一人で開墾しガレージ、本宅、社宅を建てようとしている。愛媛に移って家づくりに没頭し始めてからは鬱が治ったそうだ。

 

「朝、会社に来てやることがない。」鬱になった経緯を語ってらした。もちろん、経理処理だの採用だのなんだの事業主としてやるべき雑務はみつければ沢山あってそれなりに時間は速く過ぎていくのだろうがそれでも「暇」と感じる感覚が私にはとても共感できる。私は弓削さんと違って、独立して何人も雇うまで事業を拡大した成功者でもないし、山中の土地を買って一から独学で家を全て一人で作るような行動力もない。しかしそれを遥かに矮小化した規模で、自分も同じように「鬱」になりうる危険があると感じている。

 

組織の立て直しや大きな山場をすぎて権限移譲もある程度した後はあまり細かく口出しもしたくない。雑務は積みあがって忙しいはずなのに、意識の上では「暇」になる。そして虚無感と既視感と倦怠感に襲われる。なんとなく「憂鬱」の暗雲が直接見えないがもう曲がり角の先まで迫ってきているのではないかと不安になることがある。

 

弓削さんは描かれかたから誤解している一部の人が言うようにアーリーリタイアの「成功者の道楽」として山を開いて一人で家作りをしているのではないように思う。あれだけの能力と行動力を持った人の鬱を癒すには山中で家を全て一人で手作りするぐらいの熱量を吸収できる対象と希望が必要だったのだと思う。一人、黙々と失敗を繰り返しながら家作りに取り組むのは「鬱」から逃れる為の必死さだと私には思えた。間違っても、誰かの助けを借りて効率的に早く家を完成させることは目的ではない。

 

私にも私の身の丈に合った「山中の土地を買って全て家を手作りする」ような虚無感や倦怠感を振り払える何かが必要なのだと感じる。

 

 当番組のネットの反応を読んでいたら、弓削さんの成功をやっかむような発言も多かった。上級国民だの勝ち組だの。本人にはそんな驕りはないし、生きる喜びを何かに見出して鬱から抜け出すのは相当に苦しかったのではないか。客観的に見たら、何を不満に思う要素があるんだ、そんなに恵まれた状況にいるのに、と思われるかもしれない。しかし当の本人は他の人にない何を持っていたとしても、苦しいものは苦しい。。心身を崩すほどに。

 

ここ数週間、私は頚椎から肩、腕の神経がやられて疼痛というのが続いていて困っている。仕事への集中が妨げられたり、夜中に起きたり、もだえそうになるほど痛む時がある。頸肩腕症候群と診断された。物理的なダメージの場合もあれば、精神的な理由が混ざっている場合もあるらしい。


Wikiによると「近年では、数年以上の療養を余儀なくされる重症罹患者の存在もあり、中枢神経系を介して症状が全身に広がり、 慢性疲労や疼痛、筋力低下が引き起こさせるのではないかと考えられるため、脳からの神経伝達の異常によって生じる筋疾患とそれに付随する全身症状を診断する神経内科の方が専門性が強いと思われる。 つまり、過度の脳疲労の蓄積によって生じる病気とも考えられる。」などと書かれていて不安が募る。


私の症例は単なる物理的損傷だと良いのだがな。私は自分自身を比較的単純につくられていて悪環境にも強い人間だと思っている。そうであって欲しい。ここ最近の鬱鬱とした悩みとは関係がないと良い。私としてはこの疼痛から解放されたくてたまらない。昨今の悩みごとが疼痛の心理的間接要因だとしたら職場の同僚にも相談したら良いのかとも思ったが何が不満なのか、苦しい振りした自慢話かと誤解されそうで悩みを聞いてもらうことは躊躇われてしまう。自分の昨今の置かれている状況に立つと、レベルは全く違うけれども私には弓削さんがあれこれを自慢しているとは思えない。

 

 

 自分のなかでの結論は唯識論と健康第一。


今、得ているもの、消費しているものの半分で今以上の充実感や幸福感を得られるように自らの感受性や価値観を育てていくのが目指すべき理想なのではないか。唯識論的志向だ。

あと、健康第一。平凡だけれどもとても大切なことを自分はよくわかっていなかった。