今年の漢字は「逃」。逃げるは恥だが役に立つ

逃げるは恥だが役に立つ」を世の中から5周遅れぐらいでAmazonPrimeで見始めた。

 

今年、私は転職をして派手に失敗して転職先から数ヶ月で逃げるように再転職した。転職先は私にとっては適応しがたい環境で自分の転職という意思決定を自己正当化するためにしがみつくことも諦めさせるほどだった。逃げるのは恥でしかないけれども心身を壊してる場合じゃない。恥を喰らい後ろ指をさされて笑われる方がマシだと思えた。

 

京都清水寺で発表された今年の漢字は「戦」だそうだ。ウクライナ戦禍やW杯で格上を次々に破った戦果を思えばしっくりくる。それに対して私自身の漢字1文字は「逃」だろう。「恥」と迷うが「恥」はそんな今年に限ったことではないし際立つ今年の特徴はやはり「逃」だと思う。

 

人生で経験せずに済むのなら避けたい「恥」と「逃」、「失敗」を経験したので「逃げるは恥だが役に立つ」は自分にとても刺さるタイトルのドラマなので大変気になっていた。

 

「誰かに。誰かに選んで欲しい。ここに居ていいんだって認めて欲しい。それは贅沢なんだろうか。みんな誰かに必要とされたくて、でも上手くいかなくて、いろんな気持ちをちょっとずつ諦めて、泣きたい気持ちを笑い飛ばして、そうやって生きているのかもしれない。」

まあ私はここまでナイーブで繊細な人間ではないが、聞いていて切なくなるものがあった。

 

本当に世の中は広く、さまざまな人がいることを知った。そしてどこかの当たり前は、違う場所では全く当たり前ではないことも。そして世の中にはかなり偏りがあるということも。同じ日本、同じ東京、同じ職種でも。

 

自分が酷いことをされたから他人にも酷いことをして当然と考える人。

他人の時間を浪費することを厭わない人。

長時間働くことがアウトプットだと勘違いしている人。

質問を否定と捉える人。

どんな内容かではなく誰の発言かを重視する人。

目下の人間は行間を読み忖度すべきと考え意図や背景をろくに説明せずに指示を出す人。

仕事で客にヘコヘコする分、コンビニ店員さんなどに目一杯横柄に振る舞う人。

悪意があるとしか思えない攻撃的な言動の人。

自分の育った環境での価値観が正しいと疑わない人。

 

びっくりするぐらい誰といるかで自分の生活は変わる。環境は変えられるのならば変えたら良いのだ。苦手な人の多い環境に無理にとどまる必要など全くない。

 

やりたくもない非効率でつまらない仕事を不平不満を垂れながらやるぐらいなら逃げろ、辞めろといいたい。忍耐賛美反対。

 

逃げ去ってから思ったのは、なんでもっと早く逃げ出さなかったのかということ。その環境を変えるぐらいの愛着や使命感を持たないならばそこに留まって我慢する必要なんてない。そしてその人自身は変わらなくとも環境と周囲の人間関係が変わればできることも受ける評価も快適さも全く異なったりする。

 

自分を必要としてくれる人

一緒にいて気持ちの良い人

自分が力を発揮できる環境

 

逃亡先が天国かと聞かれれば全くそんなことはない。半年後には自分が望むほどに必要とされず評価されず気持ち良くないかもしれない。しかし逃亡元ですでに逃げることばかり考え始めていた期間が転職先で経って全くもって心の平穏は異なるので逃げて正解だったと再認識。

 

今の環境から逃げたい人がいたら背中を後押ししたい。不登校も退職も必要ならばすれば良い。逃げるなという人はあなたが壊れても責任は取ってくれない。逃げるべきでは無い逃げは本人に後悔として残るし次に活かされると思っている。