ゴッホを描いた原田マハ「たゆたえども沈まず」

アカデミックであることが至上主義だった画壇の当時、確かにゴッホの画風は受け入れられることは難しかったのかもしれない。その葛藤やもどかしさや悔しさがジワジワと心の底まで侵蝕するように丁寧に語られるのは読んでいてしんどくなる。 自分の作品が売れず認められない苦痛は片手間とはいえモノを作って売る者として身につまされる。

 

だからこそ、アルルで何かを掴んで狂ったように絵を描くことに没頭する描写や浮世絵との出会いなどには心躍る。タンギー爺さんの肖像の背景には浮世絵が並ぶ。世間ではゴッホの創作とされるが作中では林忠正の画廊が貸したことになっているが真偽はよくわからない。

 

自分が死ぬことが弟テオと奥さんヨーにしてやれる唯一のこと。そうのたまうヴィンセント・ヴァン・ゴッホ

 

そんなわけない。自分を信じて作品を作り続けることだろうし、少しはお客さんにリップサービスして売り込む努力をすることだろうよ。

 

テオがヴィンセントを殺したのは実質自分だと責めるのも違う。ヴィンセントは誤解と思い込みと短絡で自殺した。悲劇的な自己陶酔には虫酸が走る。繊細であることと悲観的であることは同義ではないし、私としては楽観的な繊細さを賛美したい。日常生活の中の些細な美を汲み取る「日々是好日」の精神だ。

 

そういえば原田マハといえば代表作は楽園のキャンバス。ルソーという作家の真価を理解しているのはこの人だとばかりに日本人キュレーターの活躍が描かれる。本作もヴィンセント・ファン・ゴッホの絵画の価値を生前で理解していたのは弟のテオと林忠正、重吉の日本人画商だけだったかのように描かれる。アートキュレーターでもあった著者原田マハの欧米アート界に対するコンプレックスと空想の中の無双願望と捉えるのは勘繰り過ぎだろうか。

 

ちなみにヴィンセント・ファン・ゴッホの祖父はヴィンセント。父はテオ。弟テオの息子はヴィンセント。孫はテオ。ヴィンセントとテオの名をぐるぐると輪廻しているような家系だ。