あれから5年

もう5年が経った。


あの瞬間は長い揺れを滋賀県で感じていた。テレビに映る状況に現実味が感じられないまま、週末に出掛けた高台寺周辺の茶屋で、客の誰かが「原発が爆発したぞ」と叫んだ時に初めてこの先どうなってしまうのか不安がこみ上げてきたことを覚えている。


自分なりに思い返してみたいと思い、玄侑宗久著「光の山」を読んだ。福島に住む、京都天龍寺で修行された僧侶であり住職でもある作家で、以前読んだ禅的生活の本が、取り繕う訳でも飾るわけでも煙に巻く訳でもなく自分が理解した範囲のことを平易に伝えようとしている姿勢と内容に感銘を受けた。それ以来のファンでもある。


結局、自分はあの震災の当事者ではなく、物理的にも心理的にも遠い。「光の山」のような被災者の日常を描く何かを読まないと想像ができない。石巻でヘドロ除去させてもらったがそれもなんだか恐縮した。悲しいことに被災者の苦しみを共有することは難しい。


震災を忘れないということは、硬直するわけでも、あの当時の状況を変えないことでもないとは思う。あの事を踏まえてどう変わっていくかなのだろう。


1000万人の死者を出した第二次世界大戦を経て希望と共に創り出されたEUが今揺らいでいる。経済規模が域内2番手のイギリスが脱退の是非を問う国民投票をする事態になっている。しかもその可否は五分五分に近い不透明さだ。


戦争も震災も伝え聞くことを元に想像することしかできない我が身としては、大きなスケールのことは考えるのが難しい。二度と繰り返したくない人為的な惨事を思えば、もっと譲れる事、己の権利の主張を控えられることがあるのではないか。


自分の小さな生活の中で、もう少し自分の目の前のことにたいして、あるいは他者の過失や失敗に対してもっと優しく寛容になりたいものだと思った。

光の山 (新潮文庫)

光の山 (新潮文庫)