見上げる老犬。馬鹿飼い主フィルターを倒すと見返り美犬。外気がどんなに寒くても、陽だまりに行きたがる。お天道様には熱以外の何かがあるのかね。
写真を撮り忘れたが、梅の剪定をした。ひこばえ、車枝、天に向かって勢いよく伸びる立ち枝、徒長枝を切って行く。切った枝には蕾がついていたのだけれども、切ってしまうとそれだけ梅の実が減ってしまわないのだろうか。今から新たな蕾は形成されるのだろうか。
大きくならないようにコンパクトな樹形維持を目指す
短い枝がたくさんついた樹形を目指す
立ち枝は優先的に栄養をとり、葉ばかりで実をつけないので全て切る。
陽が差し込むように枝を切る。
梅の冬の選定時期は1月と書いてあるサイトや指南書が多いのでそれに従ったが、蕾ができる前に剪定したほうが良かったのではないか。さらに調べると冬の剪定は本剪定ではなく微調整であり、すべきは花後の剪定のようだ。
さらに葡萄も剪定し、油かすを葡萄と梅の株元に撒いておいた。
硬く乾いた葡萄の蔓が面白い形状をしていたので切り取って鉢に挿してみた。なんだか、ハリガネムシのようだ。カマキリを作って、腹の先からこの蔓を出したらリアルすぎてグロテスク極まるのだろうな。
枝に巻きついていた部分は取り外すとまるでバネのようでこれも面白い。葡萄なんて珍しくもないし、その蔓だってありふれている。ありふれた素材なのに、その蔓の形の面白さに目を止めずにこれまで生きてきた。
移動を制限されて一箇所に留まり、暇になって目の前のモノに注意を向けると今まで見えなかったモノが見えてくる。
そういうことなのか。
源五郎の乗った陶虫夏草鉢は、植え込まれた銘月がひたすら徒長して暴れている。下に垂れ下がり、さらに上まで戻ってきた。ここらで陽に徐々に当てていき、茎先を締まったロゼットに変えていきたい。未だに疑問なのは徒長した茎が木質化したそれは、徒長せずに伸びた茎が木質化したものよりも軟弱になるのか。徒長した細胞は疎なのだろうか。
南天。難を転じて福となす縁起物だそうで、庭から切ってきた。本当に今年は難を転じて欲しい。いや滅して欲しい。