サボった。特に私事で必要性もないのに有給を取得して会社を休んだ。こういうのは「ズル休み」とされるのだろうか。重要な会議もないし、上司に事前確認もしたし、そもそもヤル気もないし。働く理由がなかった。
なんだか心が干からびてしまったので、「ヤル気の神様」が降りてくるまで気分転換が必要に思えて、嫁さんに会社をサボる旨を申し出た。理解のある会社と嫁さんでありがたい。
意識の高い人だとこんな空き時間には勉強したりするのかね。私は一日中フランス語の教本を持ち歩いたが一度も開かずに過ごした。全て有意義なことにしか時間を使わない生き方は自分には無理だとつくづく思う。それでも十分やれていると思うか、だからダメなんだと思うかは人それぞれだ。
人様に迷惑をかけず、それなりに生計を立ててやれているならば、もっと幸せを感じても良いのではないか、幸せだと主張しても良いのではないか。名を残すような何かを目指さなくても、社会的地位が低いままでも、偉人聖人に近づかなくても、その努力をしなくても受け入れてほしい。途上国では上から下まで多くの人がもっと楽観的に日々を送り、お互いのいい加減さを受け入れあい、自分は幸せだと街頭調査に答えているじゃないか。
日本は皆が几帳面で生真面目で自他に厳しくはないだろうか。その挙句幸せの意識が低い。もっと適当に、後ろめたさを感じずに幸せを感じられる世の中になってほしい。1億総高田純次化とでも呼ぶのか。
一行でまとめると、さしたる理由も無くサボり有給を取ったが、どこかで萎縮して楽しみきれなかったのは勤勉や意義を自他に求める日本の息苦しさのせいだと八当たりしているという話。