岐阜、妻籠宿へ父子旅

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朝6時に起きてメール処理をし、7時に家を出た。まだ通勤客で混雑する人たちに混ざり一路、名古屋へ。途中、綺麗な富士山を拝めた。

 

名古屋から特急しなのでさらに1時間、南木曽駅からはバスに乗り継いで11時半に妻籠宿に着いた。自宅から4時間半かかったことになる。
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なるほど、これが以前から憧れていた妻籠宿か。

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遠くに木曽の山並みを拝して200年以上変わらぬ保存された木造建築群。日本の宝だな。
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中山道が片方は京都、片方は東京へと街道が続いていたことに胸が熱くなる。皇女和宮様が嫁がれる際には東海道は洪水で橋が落ちたり危険が伴うから荷物は東海道を通り、和宮様は中山道を通って輿入りされたそうだ。
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高札が掲げられた場所。キリシタンの取り締まり札などが掲げられた。
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五平餅屋のこの風情よ。時代劇の舞台セットさながら。
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年末は観光客がめっきりと少なくなり早めに店仕舞いしている店も多いそうだ。中国人観光客は目に見えて減ったがその分、台湾人観光客が増えているとのこと。
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「ゑびや」で蕎麦を頂く。大盛りにしようか迷ったが普通盛りでかなりの量。梅雨は関東風の辛め。揚げ玉を添えられるのが少し新鮮。美味しくいただいた。
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息子はかけ蕎麦を堪能。
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参勤交代の殿様が泊まる本陣が火災で使用できなかったり殿様同士がかち合った場合に使われるのが脇本陣だそうで滅多に使われなかったことから本陣と違い幕府から給金は出なかったのだそうだ。その代わり副業を許され酒屋を営んでいたらしい。
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写真愛好家にとって有名人気のスポットらしく、とりわけ冬は陽の光が美しく入るのだという。
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運良く天気にも恵まれ美しくみられる絶好の機会に来られた。

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巨大な一眼レフカメラを携えてカメラ爺たちによる撮影会。似たような構図で撮るから似たような素晴らしい写真になるのだろうが、自分が自らシャッターボタンを押して撮影しなければ意味がないのだろう。
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右下に映る自在鉤の金具の影がハートに見えるそうで、この時間帯めがけて遠路から撮影しに来るのだという。爺様婆様はハートがときめく世代なのか。
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日本らしい素晴らしい景色を堪能。こんな光と影を愛でられる一画を自宅に作りたい。
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明治天皇行幸された際にはフランス式軍服をお召しになっておりブーツの着脱が大変だということで緋毛氈を敷き土足のまま座敷に上がって休憩できるよう、地元の大工が櫓コタツを参考に作った机だそうだ。椅子はお付きのものが東京から持参していたそうな。
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ガラスから覗く苔庭の美しさよ。
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歴史資料館はかなり充実していて見応えがあった。

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明治天皇行幸時の資料が展示されていたのだが随行員の給料が一覧書きされていたのが興味深い。伊藤博文月給500円也。三条実美など教科書の偉人がずらり。全員の給料が晒されているのが可笑しい。
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戦国末期、1584年の妻籠城の戦いでは羽柴秀吉方の木曽義昌300人が徳川家康方7000人を撃退したのだという。布陣模型を見ると四方を徳川の青旗に囲まれて妻籠城勢はなんとも四面楚歌に見える。これを打ち負かし撃退したというのだから日本版映画「300」が作れてしまうのではないか。
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幕末には税負担比率が50%を超える有様。江戸幕府の頃は木曽の檜が珍重され1株盗伐したら首一つ、枝一つなら腕一つと言われるほどに統制が厳しかったそうだ。木曽の耕作地は狭く農業生産性の改善は進まず長いこと貧しい地域だったそうだ。大政奉還後はさらに地域の69%近くもの山林が召し上げられ宮内庁所有にされてしまったという。

 

貧困に喘ぐ過疎地域は満州国樹立後は広大な耕作地が手に入るとの甘言に踊らされて多くの人々が渡満しつつも農場経営はうまくいかず、10年以上苦労してようやく軌道に乗り始めた頃に敗戦して全てを奪われ多くの女性子供が亡くなったのだそうだ。国に翻弄されつづけた歴史といえる。

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お土産に栗羊羹を一竿、おやつに豆大福にサービスで栗饅頭までいただいてしまった。
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朴葉味噌焼きセットを買ったり、夜食に蓬饅頭を調達したり。息子はこれがカッコいいと本漆の箸を自分で選んで購入した。
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陽が沈み灯りがともると一層ドラマチックになる宿場町。
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苦難の歴史を乗り越え、発展から取り残されたからこそ残る素晴らしい文化的景観。なんとも複雑だ。
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息子と2人で来られてよかった。